Freitag, 8. Januar 2021

BH 新春放談:西欧とイスラム圏における神秘主義、魔術、コスモス

あけましておめでとうございます。先日出演した BH ハードコア対談が好評だったため、第二弾として新春ラジオ放談を収録し、一昨日、その音源が公開されました。今回のテーマは神秘主義とエソテリズム(秘教主義)、魔術、占星術、錬金術、そしてコスモス(宇宙)をめぐる諸議論。これをヨーロッパ研究とアラビア=イスラム研究双方の視点から論じ、知見をすり合わせてみようという企画です。果たしてうまくいったかどうかは、聴き手の皆さんの判断にゆだねるしかありませんが、個人的には非常に有意義な回になったと考えています。


とはいえ、やはり今回も全体をとおして言葉足らずになってしまった感は否めません。「放談」といいつつも、いざ終わってみると、いろいろなことが気になってくる性分です。そこでプレミア公開中、併設のチャット欄でシェアした発言内容の補足・訂正、文献案内までの全ての内容にくわえて、さらなる追加説明も付記した完全版の解説を、対談で言及したテーマ順にそって行っていきます!

0) 写本挿絵
今回、背景画像として使用したのはティムールの孫イスカンダルに捧げられた、彼の誕生日(1384 年 4 月 25 日)ホロスコープ。1411 年作成のもので、四隅にはイスカンダルに朝貢の品を持ちよった天使たちが描かれているそうです。収録写本 Wellcome MS Persian 474 の電子データと概要説明は、それぞれこちらこちらから確認できます。

1) イスラム教の神秘主義
イスラム教の神秘主義理論全般にかんしては、動画説明欄にもあげられている井筒(1980)が読みやすく、最初の一冊としておすすめです。ちなみに「スーフィズム」といわゆる「イスラム神秘主義」は別概念として捉えたほうがいいです。より具体的にいえば、前者は後者をその一側面として含むもの。つまりスーフィズムには「神秘主義」だけに還元できない側面があります。このへんは、東長(2013)を見るとよいでしょう。

2) マクロコスモス=ミクロコスモスの照応と魔術
基本文献は Allers (1944) で、私も対談中をつうじてヒライさんから教示していただきました。余裕があれば、後日、当ブログに内容のまとめを載せます。最初期のアラビア哲学者キンディー(866 年没?)や彼と親交のあった占星術師アブー=マアシャル(886 年没)からルネサンス・初期近代の西欧にいたる星辰魔術の歴史については、いまや Saif (2015) という好著があります。中世スコラ学周辺のコスモロジーにかんする扱いが弱いという欠点はありますが、英文も読みやすく、関心のある向きには文句なくオススメです。

マクロコスモス(世界)とミクロコスモス(人体)の照応については、すでにキンディーが論じています。長くなるのでここでは引用しませんが、彼の残した文章はその後、イフワーン・サファー(純潔同胞団、10世紀)やガザーリー(1111 年没)を経て、イブン=アラビー(1240 年没)にも引用されていくことになります(Takeshita [1987] 76)。ちなみにガザーリーは生前、イフワーン・サファーの『書簡集』のコピーを所持していたことを咎められ、これはピュタゴラスにさかのぼる「弱い哲学」(weak philosophy)だなどと言い訳していたらしいのですが、現実には『書簡集』をしっかり利用していて、問題の照応のアイディアも広範に受容しています(Griffel [2009] 200 & 269-71)。ただ、彼の後代への影響は明らかになっていないことが多く(Wisnovsky などは「大きな影響は与えなかった」的なことを言っていますが[以下掲載のブログ記事を参照]、本当にそこまで言えるかは疑問です)、彼をつうじて当該アイディアがどの程度、正統信仰のなかに取り込まれているのかも、よくわかっていないようにおもいます。そもそも 14 世紀以降の神学史はわからないことだらけなので。イスラム学全体にとっての今後の課題です。

3) イスマーイール派の歴史と宇宙論
対談中では「イスマーイール派」にしばしば言及したものの、同派の内実にかんして具体的な説明は一切ありませんでした。同派の大まかな歴史と教義内容を説明しておくと:イスマーイール派は 8 世紀後半に成立したシーア派の分派で、7 代目イマームの再臨を信じます。「イマーム」とは、ムハンマドとアリーの血統カリスマを受けつぐ霊的指導者のことです。現在、少数派のシーア派内でもさらに少数派の位置にあまんじている(とはいえ、派内の信徒数は第 2 位)イスマーイール派は、9-11 世紀のファーティマ朝下でイスラム圏全域に影響をおよぼす圧倒的な政治勢力となり、(原)スンナ派とならんで当時の「正統イスラム信仰」の一翼を担っていました。

イスマーイール派は基本的に人類史全体を 7 つの周期にわけます。曰く、それぞれの周期には人類に啓示を告知する「告知者」(大預言者)と 7 人のイマームがつかわされ、各周期の最後のイマームが次の周期の告知者になる。具体的には、アーダム(アダム)、ヌーフ(ノア)、イブラーヒーム(アブラハム)、ムーサー(モーセ)、イーサー(イエス)、ムハンマドの 6 人の告知者がこれまで人類のもとにつかわされており、イスラム教誕生以後の人類史は第 6 周期に相当する。そして現在お隠れ状態にある第 6 周期の第 7 イマームが再臨したとき、最後の第 7 周期が到来し、人類史は完成をむかえ、イスラムの啓示も廃棄される。このように人類史の全周期をつうじて存在するイスマーイール派宣教団に参入することによってのみ、人類は歴史の完成をむかえ、楽園にいたることができる。概略、以上のようなことを、手を変え品を変えイスマーイール派は主張します。

最後に教義史を少し:イスマーイール派は 10 世紀初頭に新プラトン主義哲学を導入します。先鞭をつけたのはナサフィーという宣教員(ダーイー / dāʿī)ですが、影響力の点で圧倒的だったのは弟子のスィジスターニー(971 年以降没)です(ちなみに彼はアラビアではめずらしく、流布版ではなく長大版の『アリストテレスの神学』を利用していたことが知られています)。全体的には、この流れは後の同派の教義史に決定的な影響を与えるのですが、導入当初はそれに反発する陣営も存在しました。井筒(1989)の最後のほう(320-34 頁)で取りあげられるアブー=イーサーは、その一人。彼は活動時期こそ 10 世紀半ば(ムイッズ治下)ですが、新プラトン主義導入期以前の古い宇宙論的神話を残していると言われています。野元先生がストイックに研究しているアブー=ハーティム・ラーズィー(933/34 年没)も、同時期に新プラトン主義を拒絶した宣教員。彼のおもしろい点は、新プラトン主義導入促進派(上記のナサフィー)を論駁する文章を残している点です(『訂正の書』)。現在にいたるまでラーズィーにかんしてもっとも詳細に調べあげた研究は、野元先生が世紀転換期にマッギル大学に提出した博士論文(Nomoto [1999])でしょう。マッギルのリポジトリから無料で DL できるので、一家にひとつ持っておきたいところです(リンクは下記参考文献)。

イスマーイール派はファーティマ朝期をのぞいて、ムスリム社会のマイノリティでありつづけました。そのため、そうした心性を反映してか、史料で確認できる最初期からずっと強烈なメシア主義的終末観をもっています。つまり「現実の秩序は終末の到来により、まもなく転倒する。そうすれば、再臨したメシアの導きによって、現在、苦難を強いられている我々こそが救済される!!」という考えかたです。ただし、ファーティマ朝(エジプト・北アフリカが中心)が政治権力を拡大していった 10-11 世紀頃にかぎっては、この強烈なメシア主義はむしろ体制護持には邪魔になる。現実秩序は守らなければならないし、終末も先送りせざるをえない。そんなわけで、既存の教義と連続性を保ったうえで、ドラマチックな終末論要素を希釈して、静的な教義を確立しようとする動きが体制派のなかから出てきます。これがキルマーニー(あるいはケルマーニー、1020 年以降没)。菊地さんがいくつも論文を書いている宣教員です。彼は「天上からの転落者」(罪を犯して地上に転落した天の存在者で、来るべき天上回帰のときを待つ;これを助けるのがイスマーイール派宣教組織と定義することで自派の天上的出自が確認され、かつ天への回帰を使命とすることにより終末に壮大な宇宙論的ドラマが準備される)というグノーシス的モチーフを廃棄し、代わりにファーラービー[950 年没]の十知性論を導入することで、静謐なコスモスを作りあげました。

しかし 12 世紀になると、ファーティマ朝が滅びます。同朝の残存勢力の一部はアラビア半島南部のイエメンに逃れ、閉鎖的コミュニティを形成し、ふたたびマイノリティとして生き永らえるのですが、ここでおそらくそうした彼らの心性を反映して、コスモスが動的な性格を取り戻します。具体的には、ハーミディー(1162 年没)という宣教員がキルマーニーによって構築された十知性論的コスモスのなかから第三知性を取りだし、これに「高慢の罪を犯して、天上から転落した」という物語を与えます(なお、ハーミディーはイフワーン・サファーの『書簡集』も利用して議論を構築します)。グノーシス的な天上のドラマが、ここに復活するわけです。このような一連の流れを日本語で概観できる非常にありがたい論文が、菊地(1999)です。これを読んでさらなる詳細を知りたくなった人には、菊地(2005)という強烈な一冊があります。ぜひ手にとってみてください。ちなみに井筒の上記の論考の前半部で扱われている「ニザール派」(いわゆる「暗殺団」)は、11 世紀の政争によりファーティマ朝から離反したイスマーイール派の下位分派です。

4) アダムソン一派とその周辺
アダムソンとその弟子たちのプロダクトを見ていると、やはり哲学史研究の王道をいくものが目立ちます。つまり「古代末期ギリシア哲学から初期アラビア哲学(とイスラム神学)へ」という基本ラインがあって、テーマとしても知性論とか魂論とか認識論とか存在論とか、そういうものが多い。時代的にも 12-13 世紀以降はほぼ取り上げられない。もっといえば、イブン=アラビーやスフラワルディーもアラビア新プラトン主義の遺産は受け継いでいるはずなのに、スフラワルディー派は別としても、イブン=アラビー派が哲学史の枠内で扱われることはほとんどありません。アダムソン一派にも、この傾向は強くみられます(ただし Adamson/Pormann [trs. (2012)] ではキンディーの有名な星辰魔術書『光線論』の英訳も収録しており、哲学史の王道を行く研究以外も行っていないわけではない)。

さらに自分の問題関心に引きつければ:イブン=アラビー派自体も「哲学だ」といいたがる研究者はいます。井筒の燻陶をうけた哲学者・宗教学者にその傾向が強い印象です。けれどもこのようなイブン=アラビー派理解は歴史研究としては一面的といえます。やや強引なまとめになりますが、本来多様な側面を有していた同派の思惟は、近代、とりわけイランにおける発展のなかで、特定の要素(認識論と存在論)によりフォーカスしていき、それ以外の要素(占星術や錬金術に由来する議論)はマージナライズしていく、そのなかでいわば後づけ的に一種の「哲学」として自己定義してきたきらいがあります。研究史的に井筒はこの近代イラン的なイブン=アラビー派理解に相当程度引きずられていて、マージナライズ以前のイブン=アラビー派の思惟の姿をきちんと捉えきれていないようにおもいます。

つまり:イブン=アラビー派は哲学の影響下にあるため、哲学史の枠内でも扱われなければならない(この事実を哲学史家が直視しないのは問題)、けれどもそれ自体が「哲学」であることを自明視していると、まさにそれを「哲学」と呼ぶ伝統が形成されるなかで振り落とされてきた、かつて同派が有していたさまざまな要素を等閑視してしまう危険性が高い(哲学者・宗教学者の問題)。哲学史研究や哲学・宗教学研究のアプローチ(おそらくそれぞれの学問構造に即したものであり、根本的な改変は困難)だけでは、多様な知的潮流の坩堝となっていた近代以前のイブン=アラビー派の歴史をきちんと叙述することができない、などということを最近よく考えています。

5) アンダルスにおけるキンディー派の影響とその周辺
対談で話したように、イブン=アラビーにたいしてアヴィセンナの影響がどの程度およんでいたかは、おそらくまだよくわかっていません。現時点での私の印象では、アヴィセンナや彼の先達ファーラービー(§3)よりもさらに前の、キンディー・サークルを中心とする最初期のアラビア新プラトン主義からの影響のほうが強いようにかんじます。というのも:よく知られているように、ファーラービーは当時最先端の天文学を参照し、知性体の数を天球の数にあわせて 10 としました。この十知性論をアヴィセンナも(上述のとおり、ファーティマ朝宣教員のキルマーニーも)受け継いでいます。しかしイブン=アラビー派にぞくする諸著作をみるかぎり、十知性論は採用されていません。むしろ、よりプリミティヴな普遍知性論が採用されていることに気づきます。具体的なソースは未詳ですが、最有力候補はやはりイフワーン・サファーの『書簡集』(10 世紀末から 11 世紀初頭にかけて、アンダルスにもたらされた)でしょう。なお、アダムソンはイフワーン・サファーもキンディー派にぞくする運動体としてカテゴライズしています(Adamson [2007])。関連してイブン=アラビーの「完全人間論」(完全人間:世界=マクロコスモスの中心にあり、かつ神の代理者でもある人間=ミクロコスモス)にたいするイフワーン・サファーの影響については、私の恩師である竹下先生がすでに簡潔に論じています(Takeshita [1987])。

ただし:イブン=アラビーより 1 世紀ほど前にアンダルスで活動した哲学者イブン=バーッジャ(ラテン名アヴェンパケ、1139 年没)はファーラービーの哲学から大きな影響を受けていますし、イブン=アラビーの 2 世代ほど前を生きた注釈者アヴェロエス(1198 年没)も、アヴィセンナ哲学とガザーリーによるその批判にかんしては知悉していました(リーマン[2002])。したがって、イブン=アラビーの時代のアンダルスにファーラービーと彼以後の哲学が受容されていなかったというわけでは決してありません。

参考文献
- Adamson, P. (2007): Al-Kindī. Oxford: Oxford UP.
- Adamson, P./P. Pormann (trs. [2012]): The Philosophical Works of al-Kindī. Oxford: Oxford UP.
- Allers, R. (1944): “MICROCOSMUS. From Anaximandros to Paracelsus”. In: Traditio 2, 319-407.
- Griffel, F. (2009): Al-Ghazālī’s Philosophical Theology. Oxford: Oxford UP.
- Saif, L. (2015): The Arabic Influences on Early Modern Occult Philosophy. London: Palgrave Macmillan.
- Takeshita, M. (1987): Ibn ʿArabī’s Theory of the Perfect Man and Its Place in the History of Islamic Thought. Tokyo: Institute for the Study of Languages and Cultures of Asian and Africa.[1986 年にシカゴ大学に提出した博士論文の改訂版。15 年前は版元の東京外国語大学の AA 研に行けば無料で入手できたが、現在どういう状況かは不明。改訂前の博士論文は Internet Archive上で入手可。]

- 井筒俊彦 (1980):『イスラーム哲学の原像』岩波書店.
- 同上 (1989):「イスマイル派「暗殺団」:アラムート城砦のミュトスと思想」『コスモスとアンチコスモス:東洋哲学のために』岩波書店、247-336.
- 同上 (2005):『イスマーイール派の神話と哲学:イスラーム少数派の思想史的研究』岩波書店.
- 東長靖 (2013):『イスラームとスーフィズム:神秘主義・聖者信仰・道徳』名古屋大学出版会.
- リーマン、オリヴァー (2002):『イスラム哲学への扉』(中村廣治郎訳)ちくま学芸文庫.

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