Wakelnig, E.: Feder, Tafel, Mensch: al-ʿĀmirīs Kitāb al-Fuṣūl fī l-maʿālim al-ilāhīya und die arabische Proklos-Rezeption im 10 Jh. (IPTS 67), Leiden: Brill, 2006, 3-78 [Einleitung] & 391-401 [Zusammenfassung].
アブルハサン・アーミリー(992 年没)は 10 世紀バグダードで活躍した人物で、いわゆる「キンディー・サークル」に属する哲学者の 1 人。彼は他にもいくつかの著作を残していますが、哲学史的にもっとも重要なものの 1 つがプロクロス『神学綱要 Στοιχείωσις θεολογική 』のアラビア語版パラフレーズ『神学断章集 al-Fuṣūl fī l-maʿālim al-ilāhiyya 』(以下『断章集』)です。『神学綱要』といえば、アラビア語に翻案され、それが後に擬アリストテレス『原因論 Liber de Causis 』(アラビア語原題:『純粋善論 al-Īḍāḥ fī l-ḫayr al-maḥḍ 』)として流布することになる初期アラビア哲学史上の超重要テクストの 1 つですが、本書で著者Wakelnig はこの翻案・流布がたどった複雑な過程を部分的に明らかにするための史料として、『断章集』を取り上げ、同書のテクスト校訂・訳注・ソースの同定などを行っています。今回はそんな本書から序論部と結論部のみを拾い読みしたので、走り書き的にメモを残しておきます。
『断章集』に関しては、これまで 2 人の研究者が分析を行っています。1 人は Rowson(“al-ʿĀmirī”, in: EI [2nd ed.], vol. 12, Leiden: Brill, 2004, 72-73; “An Unpublished Work by al-ʿĀmirī and the Date of the Arabic De Causis”, in: JAOS 104 [1984], 193-99)、そしてもう 1 人は Ḫalīfāt(Rasāʾil li-Abī l-Ḥasan al-ʿĀmirī wa-šaḏarātu-hū l-falsafiyya, Amman: al-Ğāmiʿa al-Urduniyya, 1988, 148-62)です。Rowson によると、『断章集』の直接のソースは『原因論』だったとのこと。そして Ḫalīfāt も Rowson のこの主張を受け継ぎ、『断章集』と『原因論』とのあいだの並行テクストの同定を行っています。ところがこれら両テクストをさらにプロクロスの『神学綱要』それ自体と比較してみると、『断章集』中には『原因論』からの引き写しだけでは説明できない多くのプロクロス的題材([das] proklische Material)が挿入されていることに気づきます。これを説明するのにもっとも無理のない仮説は『原・原因論 Ur-LdC 』の想定だと、著者は言います。すなわち現在我々が知るかたちでの『原因論』テクストが成立する前には、それよりも広く流布していた『原・原因論』とでも呼ぶべきテクストが存在していて、アーミリーは『断章集』でこれを参照していたのだ、というわけです。
なお『原因論』はもともとは内容的にも言語表現的にも、9 世紀にバグダードのキンディー・サークル内で生みだされたと考えられていますが、現存する最古の写本(Leiden Or. 209)が書写されたのはあくまで 12 世紀。そのため想定される原テクストの成立年代と現存史料の成立年代とのあいだには、3 世紀の溝が横たわることになります。これは何を意味するか。著者はこの 3 世紀のあいだにこそ『原・原因論』テクストに改変が生じたのではないか、そして現在我々の知る『原因論』はまさにこの 12 世紀に至ってようやく『原因論』として成立したのではないか、という仮説を提示します。もしそうであるならば、10 世紀に著された『断章集』は『原・原因論』から 1 世紀後に成立したテクストになるため、『原因論』の成立史研究という観点からも同書の分析は大きな意味を有すことになるだろうと(このへんのテクスト成立史の再構成に関する議論が妥当なものなのかどうか、私には判断できません)。いずれにしても、このようにして著者は(複数の『神学綱要』のアラビア語版パラフレーズなども引き合いに出しつつ)、『断章集』をめぐる仔細なテクスト比較を行っていくのですが、ここから先の議論は細かすぎて読んだそばから忘れるので(というか読むことすら苦痛なので)、以下ではアーミリーがじつは『神学綱要』に由来する新プラトン主義の伝統からは逸脱する側面も持ち合わせていたという点だけをまとめておきます。
まずアーミリーは哲学上の術語とコーランに由来する概念とを逐一結びつけていきます。[例]普遍知性(al-ʿaql al-kullī)=筆(qalam)/ 知的諸形相(aṣ-ṣuwar al-ʿaqliyya)=命令(amr)/ 普遍霊魂(an-nafs al-kulliyya)=書板(lawḥ)/ まっすぐな天球(al-falak al-mustaqīm / die gerade Sphäre[最高天球?])=玉座(ʿarš)/ 黄道天球(falak al-burūğ)あるいは恒星天球=足置き(kursī)[ただしこの最後の例だけは『断章集』中に言及はなく、『永遠の目標 al-Amad ʿalā l-abad 』という別の著作で言及されている]。さらに彼は同様にキンディー派の伝統に由来する哲学用語とコーラン用語を混ぜ合わせ、新プラトン主義的な「創造」概念からの逸脱も示しています。例えば彼は第一知性の創造には ibdāʿ を、つづく普遍霊魂の創造には ḫalq を、天体の創造にはtasḫīr を、そしてこの世界のものどもの創造には tawlīd を用いました。このようにアーミリーの創造論は新プラトン主義的な流出論の枠組みをいちおうは保持しながらも、創造の全てを神のみに帰すという一神教的な側面がより前面に出た議論になっています。またアーミリーにおいては、人間(正確には人間の知性と魂)に対する関心が大きな比重を占めています。例えば彼は人間という存在を叡智界とこの世界とのあいだの中間的な存在として位置づけ、哲学を通じた人間の叡智界への上昇を論じています。このような関心は明らかにキンディー派における「知の倫理学(Wissensethik)」と共通するものであり、『断章集』以外のアラビア語での『神学綱要』パラフレーズ著作には見られないのだそうです。
なおこうした彼の議論は人間論や創造論などの点で、同様にキンディー・サークルに属していた(と見られる)イサク・イスラエリ(907 年頃没)やイフワーン・サファー(純潔同胞団)のそれとよく似ているのだそうです。ただし著者曰く、『断章集』に見られるアーミリーの議論が彼の他の諸著作に見られる議論とどういった関係にあるのか、また彼の諸議論が後代にいかに受け継がれたのか等に関しては、本書では扱いきれなかったとのこと。このあたりはキンディー・サークル思想の発展と受容という問題にも直結するため、なかなか難しいところだとは思いますが、いずれ明らかにされると信じて楽しみに待っていましょう。
アブルハサン・アーミリー(992 年没)は 10 世紀バグダードで活躍した人物で、いわゆる「キンディー・サークル」に属する哲学者の 1 人。彼は他にもいくつかの著作を残していますが、哲学史的にもっとも重要なものの 1 つがプロクロス『神学綱要 Στοιχείωσις θεολογική 』のアラビア語版パラフレーズ『神学断章集 al-Fuṣūl fī l-maʿālim al-ilāhiyya 』(以下『断章集』)です。『神学綱要』といえば、アラビア語に翻案され、それが後に擬アリストテレス『原因論 Liber de Causis 』(アラビア語原題:『純粋善論 al-Īḍāḥ fī l-ḫayr al-maḥḍ 』)として流布することになる初期アラビア哲学史上の超重要テクストの 1 つですが、本書で著者Wakelnig はこの翻案・流布がたどった複雑な過程を部分的に明らかにするための史料として、『断章集』を取り上げ、同書のテクスト校訂・訳注・ソースの同定などを行っています。今回はそんな本書から序論部と結論部のみを拾い読みしたので、走り書き的にメモを残しておきます。
『断章集』に関しては、これまで 2 人の研究者が分析を行っています。1 人は Rowson(“al-ʿĀmirī”, in: EI [2nd ed.], vol. 12, Leiden: Brill, 2004, 72-73; “An Unpublished Work by al-ʿĀmirī and the Date of the Arabic De Causis”, in: JAOS 104 [1984], 193-99)、そしてもう 1 人は Ḫalīfāt(Rasāʾil li-Abī l-Ḥasan al-ʿĀmirī wa-šaḏarātu-hū l-falsafiyya, Amman: al-Ğāmiʿa al-Urduniyya, 1988, 148-62)です。Rowson によると、『断章集』の直接のソースは『原因論』だったとのこと。そして Ḫalīfāt も Rowson のこの主張を受け継ぎ、『断章集』と『原因論』とのあいだの並行テクストの同定を行っています。ところがこれら両テクストをさらにプロクロスの『神学綱要』それ自体と比較してみると、『断章集』中には『原因論』からの引き写しだけでは説明できない多くのプロクロス的題材([das] proklische Material)が挿入されていることに気づきます。これを説明するのにもっとも無理のない仮説は『原・原因論 Ur-LdC 』の想定だと、著者は言います。すなわち現在我々が知るかたちでの『原因論』テクストが成立する前には、それよりも広く流布していた『原・原因論』とでも呼ぶべきテクストが存在していて、アーミリーは『断章集』でこれを参照していたのだ、というわけです。
なお『原因論』はもともとは内容的にも言語表現的にも、9 世紀にバグダードのキンディー・サークル内で生みだされたと考えられていますが、現存する最古の写本(Leiden Or. 209)が書写されたのはあくまで 12 世紀。そのため想定される原テクストの成立年代と現存史料の成立年代とのあいだには、3 世紀の溝が横たわることになります。これは何を意味するか。著者はこの 3 世紀のあいだにこそ『原・原因論』テクストに改変が生じたのではないか、そして現在我々の知る『原因論』はまさにこの 12 世紀に至ってようやく『原因論』として成立したのではないか、という仮説を提示します。もしそうであるならば、10 世紀に著された『断章集』は『原・原因論』から 1 世紀後に成立したテクストになるため、『原因論』の成立史研究という観点からも同書の分析は大きな意味を有すことになるだろうと(このへんのテクスト成立史の再構成に関する議論が妥当なものなのかどうか、私には判断できません)。いずれにしても、このようにして著者は(複数の『神学綱要』のアラビア語版パラフレーズなども引き合いに出しつつ)、『断章集』をめぐる仔細なテクスト比較を行っていくのですが、ここから先の議論は細かすぎて読んだそばから忘れるので(というか読むことすら苦痛なので)、以下ではアーミリーがじつは『神学綱要』に由来する新プラトン主義の伝統からは逸脱する側面も持ち合わせていたという点だけをまとめておきます。
まずアーミリーは哲学上の術語とコーランに由来する概念とを逐一結びつけていきます。[例]普遍知性(al-ʿaql al-kullī)=筆(qalam)/ 知的諸形相(aṣ-ṣuwar al-ʿaqliyya)=命令(amr)/ 普遍霊魂(an-nafs al-kulliyya)=書板(lawḥ)/ まっすぐな天球(al-falak al-mustaqīm / die gerade Sphäre[最高天球?])=玉座(ʿarš)/ 黄道天球(falak al-burūğ)あるいは恒星天球=足置き(kursī)[ただしこの最後の例だけは『断章集』中に言及はなく、『永遠の目標 al-Amad ʿalā l-abad 』という別の著作で言及されている]。さらに彼は同様にキンディー派の伝統に由来する哲学用語とコーラン用語を混ぜ合わせ、新プラトン主義的な「創造」概念からの逸脱も示しています。例えば彼は第一知性の創造には ibdāʿ を、つづく普遍霊魂の創造には ḫalq を、天体の創造にはtasḫīr を、そしてこの世界のものどもの創造には tawlīd を用いました。このようにアーミリーの創造論は新プラトン主義的な流出論の枠組みをいちおうは保持しながらも、創造の全てを神のみに帰すという一神教的な側面がより前面に出た議論になっています。またアーミリーにおいては、人間(正確には人間の知性と魂)に対する関心が大きな比重を占めています。例えば彼は人間という存在を叡智界とこの世界とのあいだの中間的な存在として位置づけ、哲学を通じた人間の叡智界への上昇を論じています。このような関心は明らかにキンディー派における「知の倫理学(Wissensethik)」と共通するものであり、『断章集』以外のアラビア語での『神学綱要』パラフレーズ著作には見られないのだそうです。
なおこうした彼の議論は人間論や創造論などの点で、同様にキンディー・サークルに属していた(と見られる)イサク・イスラエリ(907 年頃没)やイフワーン・サファー(純潔同胞団)のそれとよく似ているのだそうです。ただし著者曰く、『断章集』に見られるアーミリーの議論が彼の他の諸著作に見られる議論とどういった関係にあるのか、また彼の諸議論が後代にいかに受け継がれたのか等に関しては、本書では扱いきれなかったとのこと。このあたりはキンディー・サークル思想の発展と受容という問題にも直結するため、なかなか難しいところだとは思いますが、いずれ明らかにされると信じて楽しみに待っていましょう。
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