Adamson, P., “al-Kindī and the Mu‘tazila: Divine Attributes, Creation and Freedom”, Arabic Sciences and Philosophy 13 (2003), 45-77.
先日のポストに引きつづき、Adamson のキンディー研究からもう 1 本。キンディー(866 年没?)が活躍した時代は、ムウタズィラ派神学がアッバース朝カリフからの庇護を得て御用神学化した時代でした。哲学とムウタズィラ派神学。時代を代表するこれら 2 つの思想潮流間の関係は、現在に至るまでさまざまな研究者の関心を引いてきました。彼らが熱心に分析を試みたのは、ムウタズィラ派神学に対する哲学側(具体的にはアリストテレスやストア派など)からの影響でした。当時の翻訳事業の規模を考えれば(そしてその事業の推進者がまさに同派の後ろ盾であるアッバース朝カリフその人であった事実を考慮すれば)、同派に対して哲学が何らかの影響をおよぼしていたと考えるのは自然な流れに見えます。それでは逆に哲学に対するムウタズィラ派側からの影響はどのようなものだったのでしょうか。同派が当時御用神学としての立ち位置を確立していたこと(そして同派の信条に反対する勢力に対してはしばしば異端審問が行われていたこと)などを考慮すれば、少なくとも哲学者がムウタウズィラ派の存在を認識していたことはまちがいないと思われます。ところが哲学に対する同派の影響に関しては、いまだ詳しい研究がなされていないのが現状です。さほど多くない先駆的な業績もただ単にキンディーと同派が共有するコーランの章句に対する理性主義的な解釈傾向を指摘するにとどまり、個々のテーゼの比較考察はいまだなされていないという状況にあります。このような観点から、本論文で Adamson はムウタズィラ派神学を構成する 3 つの主要テーマ「(神の)属性論」「創造論」「自由意志論」に焦点をしぼり、これら 3 つの点に関してキンディーがいかなる見解を提示するかを見ていきます。議論が細かくてまとめきれない部分もありますが、今回は個人的に重要と思われる属性論と創造論を中心にまとめておきます。
[属性論]初期ムウタズィラ派は(例外的な事例も複数存在するものの)、「属性」一般に関して概ね次のような同意事項を共有していました。(1)何ものかに内在するようなものは皆、神によって創造された属性ないし付帯性である(彼らは被造物が「本質」をもつとは考えない)。(2)そのような属性ないし付帯性は相互に区別され、かつそれらが内在する基体(これは一般に原子、もしくは諸原子の集合体と見なされる)からも区別されている。ところが当時のムウタウズィラ派神学は様態理論導入以前の時期にあたるため、これらのうちテーゼ(2)を神の属性論に対しても適用すると、複数の互いに(そして神自身とも)異なる属性が神と並び立つという多神論的事態を招来してしまいます。このような事態を避けるべく、例えばアブー=フザイル(841 年没)は神においてのみ複数の属性間に相違はなく、かつそれら属性と神のあいだにも相違はないと主張するに至ります(例えばここを参照)。これにより一なる神と多なる属性とのあいだの矛盾は解消されることになりますが、やはりこのような前提でなされる叙述は皆、トートロジーとなるわけで、もはや有意味的な叙述とはなりえないのも事実です。このように初期ムウタズィラ派神学においては、神を一なる者と捉えるためには、多性を徹底的に排除していく否定神学的なアプローチをとらざるをえないようです。
他方キンディーにおいては、神の一性は肯定的な側面をもちます。もちろん彼も例えば『第一哲学』において、『原因論』や『アリストテレスの神学』にならい、神のことをあらゆる属性をはぎとられた純粋存在であるとしています。しかしそれと同時に彼は次のようにも考えます。神も被造物も皆、それがそれであるかぎりにおいて、自体的一性を有する。だが神の有する自体的一性と被造物の有するそれとのあいだには決定的なちがいがある。それは神の有する自体的一性が被造物の有するそれにとっての原理となる、というちがいである。こうしてキンディーは神の創造行為を、彼自身が有する自体的一性の可感的事物どもに対する流出と捉えます。キンディーにおいては、あらゆる多性を排除した結果得られた一性だけでなく、多に対して一を付与するという肯定的な側面をもつ一性も語られているのです。
[創造論]ムウタズィラ派神学において、創造論は非存在者の存在性格の問題と密接に連関しています。一般にムウタズィラ派神学者は「非存在者(maʿdūm)」のことを一種の「もの(šayʾ)」と考えます(このような考えかたは、シャッハーム[871 年以降に没;アブー=フザイルの弟子]に端を発する)。例えば神が何ものかを創造する際、彼はその「何ものか」を創造する以前から、そのものについて知っています。つまり創造以前の状態にあり、まだ現実には存在していないようなものも神の知の対象(maʿlūm)である以上、それは純然たる無ではなく、何ものか(šayʾ)であるとされるわけです。また同派においては、神の創造行為とは現実に存在していない可能的なものを現実化する行為であると考えられます。そのため創造以前の状態にある可能的なものどもは神の創造能力(qudra)の対象として彼の創造能力内に存することになります。このような創造能力の対象もまた、純然たる無ではなく、何ものかであるとされます。こうしてムウタズィラ派神学者たちは神の創造行為を純然たる無からではなく、まだ現実には存在していない何ものかを現実に存在させる行為であると考えます(とはいえ、彼らもあくまで「無からの創造」説をとるようなので、この辺はかなり微妙です)。
キンディーもまた神の創造行為(ibdāʿ)のことを、或るもの(šayʾ)を非存在(lays)から顕現させること(iẓhār)の意だと考えます。彼の議論の第 1 のソースは、コーラン第 36 章第 78-82 節(「何か(šayʾ)を望まれると、彼〔神〕が「有れ(kun)」と御命じになれば、すなわち有る」)です。ここでムハンマドは創造以前のまだ現実には存在していない非存在者に対して「もの(šayʾ)」という表現を用い、さらに神はその創造以前のものに対して 2 人称(「有れ」)で語りかけています。これはすなわち創造以前の状態にある非存在者が純然たる無ではないことを意味します。またこれと同時にキンディーは、おそらく『自然学』第 1 巻第 7-8 章にも依拠しています。同所でアリストテレスは「全ての変化はその対立物から起こる」というテーゼを展開しています。キンディーはこの議論を存在 / 非存在の対立軸と結びつけることで、創造という変化もまた非存在者から存在者へという方向で起こると考えるわけです。
ただしここで注意しなければならないのは、『自然学』第 1 巻第 8 章で展開されている世界永遠説の処理です。同所でアリストテレスは神の創造行為を他の一般的な変化と類比的に捉えることにより、世界の永遠性を肯定しようとしています([1]生成とは変化ないし運動と同様、可能的な何ものか、すなわち質料的基体が現実化することを指す;[2]生成も変化ないし運動と同様、時間の内で起こる。だがあらゆる変化にはその変化が起こるまさにその瞬間に先立つ瞬間がある。ところでいかなる変化においてもそうした瞬間があるとすれば、時間は永遠だということになる。ちなみに時間とは運動の尺度[measure]である。従って時間が永遠であれば、運動も永遠だということになる。ところで世界とは運動の総体である。とすれば、世界もまた永遠だと考えざるをえない)。ところがキンディーはアリストテレスとは異なり、世界の永遠性を否定します。その際に彼が依拠するのが、フィロポノス(570 年頃没)による『自然学』批判(『世界の永遠性について』)です。フィロポノスは神の創造行為を他の一般的な変化とは異なるものとして捉えています。おそらく彼のそうした議論に依拠しつつ、キンディーは神の創造行為を他の一般的な変化とは異なり、質料的基体を必要とせず([1]への反論)、非時間的に起こる([2]への反論)特殊な変化と考えるわけです。こうして一方でコーランに、他方でアリストテレスおよびフィロポノスに従いつつキンディーが提出した見解は、存在者に対立する「もの」としての非存在者が存在者へと現実化するプロセスとして創造行為を理解するシャッハームの見解と軌を一にしていることがわかります。
このようにキンディーが示した見解は、さまざまな点でムウタズィラ派のそれと一致するものでした。キンディーとムウタズィラ派との関係性は、厳密には確定できません。「キンディーは哲学者のなかで最も神学者寄りの人物であり、またムウタズィラ派のなかで最も哲学者寄りの人物である」(Jolivet, L’intellect selon Kindī [1971], 156)とする説もあれば、「キンディーはムウタズィラ派のことを意識しており、彼らに答えるかたちで議論を展開しているが、どちらかといえば彼は同派のことを同盟者ではなく、知的ライバルと考えていた」(Ivry, “Al-Kindi and the Mu‘tazilah: A Reevaluation”, in: id. [tr.], Al-Kindi’s Metaphysics [1974], 22-34)とする説もあります。しかし本論文で Adamson は次のような説を提出します。キンディーは古代ギリシアの哲学伝統を参照することにより、当時の神学上の諸問題を解決しようと考えていた。たしかに彼は同派と多くの点で同一の見解を提出している。だが彼は神学者(mutakallim)ではない。(あくまで哲学者[faylasūf]として)ギリシア由来の哲学が当時まさに議論されていたさまざまな神学上の問題と密接なつながりを有することを神学者たちに示そうとしていたのである。キンディーにとってムウタズィラ派神学は、古代ギリシアの哲学伝統をイスラムの知的環境に対して知らしめるための、1 つの好機(opportunity)だったのだ。これが妥当な落としどころなのか判断する能力は、私にはありません。
先日のポストに引きつづき、Adamson のキンディー研究からもう 1 本。キンディー(866 年没?)が活躍した時代は、ムウタズィラ派神学がアッバース朝カリフからの庇護を得て御用神学化した時代でした。哲学とムウタズィラ派神学。時代を代表するこれら 2 つの思想潮流間の関係は、現在に至るまでさまざまな研究者の関心を引いてきました。彼らが熱心に分析を試みたのは、ムウタズィラ派神学に対する哲学側(具体的にはアリストテレスやストア派など)からの影響でした。当時の翻訳事業の規模を考えれば(そしてその事業の推進者がまさに同派の後ろ盾であるアッバース朝カリフその人であった事実を考慮すれば)、同派に対して哲学が何らかの影響をおよぼしていたと考えるのは自然な流れに見えます。それでは逆に哲学に対するムウタズィラ派側からの影響はどのようなものだったのでしょうか。同派が当時御用神学としての立ち位置を確立していたこと(そして同派の信条に反対する勢力に対してはしばしば異端審問が行われていたこと)などを考慮すれば、少なくとも哲学者がムウタウズィラ派の存在を認識していたことはまちがいないと思われます。ところが哲学に対する同派の影響に関しては、いまだ詳しい研究がなされていないのが現状です。さほど多くない先駆的な業績もただ単にキンディーと同派が共有するコーランの章句に対する理性主義的な解釈傾向を指摘するにとどまり、個々のテーゼの比較考察はいまだなされていないという状況にあります。このような観点から、本論文で Adamson はムウタズィラ派神学を構成する 3 つの主要テーマ「(神の)属性論」「創造論」「自由意志論」に焦点をしぼり、これら 3 つの点に関してキンディーがいかなる見解を提示するかを見ていきます。議論が細かくてまとめきれない部分もありますが、今回は個人的に重要と思われる属性論と創造論を中心にまとめておきます。
[属性論]初期ムウタズィラ派は(例外的な事例も複数存在するものの)、「属性」一般に関して概ね次のような同意事項を共有していました。(1)何ものかに内在するようなものは皆、神によって創造された属性ないし付帯性である(彼らは被造物が「本質」をもつとは考えない)。(2)そのような属性ないし付帯性は相互に区別され、かつそれらが内在する基体(これは一般に原子、もしくは諸原子の集合体と見なされる)からも区別されている。ところが当時のムウタウズィラ派神学は様態理論導入以前の時期にあたるため、これらのうちテーゼ(2)を神の属性論に対しても適用すると、複数の互いに(そして神自身とも)異なる属性が神と並び立つという多神論的事態を招来してしまいます。このような事態を避けるべく、例えばアブー=フザイル(841 年没)は神においてのみ複数の属性間に相違はなく、かつそれら属性と神のあいだにも相違はないと主張するに至ります(例えばここを参照)。これにより一なる神と多なる属性とのあいだの矛盾は解消されることになりますが、やはりこのような前提でなされる叙述は皆、トートロジーとなるわけで、もはや有意味的な叙述とはなりえないのも事実です。このように初期ムウタズィラ派神学においては、神を一なる者と捉えるためには、多性を徹底的に排除していく否定神学的なアプローチをとらざるをえないようです。
他方キンディーにおいては、神の一性は肯定的な側面をもちます。もちろん彼も例えば『第一哲学』において、『原因論』や『アリストテレスの神学』にならい、神のことをあらゆる属性をはぎとられた純粋存在であるとしています。しかしそれと同時に彼は次のようにも考えます。神も被造物も皆、それがそれであるかぎりにおいて、自体的一性を有する。だが神の有する自体的一性と被造物の有するそれとのあいだには決定的なちがいがある。それは神の有する自体的一性が被造物の有するそれにとっての原理となる、というちがいである。こうしてキンディーは神の創造行為を、彼自身が有する自体的一性の可感的事物どもに対する流出と捉えます。キンディーにおいては、あらゆる多性を排除した結果得られた一性だけでなく、多に対して一を付与するという肯定的な側面をもつ一性も語られているのです。
[創造論]ムウタズィラ派神学において、創造論は非存在者の存在性格の問題と密接に連関しています。一般にムウタズィラ派神学者は「非存在者(maʿdūm)」のことを一種の「もの(šayʾ)」と考えます(このような考えかたは、シャッハーム[871 年以降に没;アブー=フザイルの弟子]に端を発する)。例えば神が何ものかを創造する際、彼はその「何ものか」を創造する以前から、そのものについて知っています。つまり創造以前の状態にあり、まだ現実には存在していないようなものも神の知の対象(maʿlūm)である以上、それは純然たる無ではなく、何ものか(šayʾ)であるとされるわけです。また同派においては、神の創造行為とは現実に存在していない可能的なものを現実化する行為であると考えられます。そのため創造以前の状態にある可能的なものどもは神の創造能力(qudra)の対象として彼の創造能力内に存することになります。このような創造能力の対象もまた、純然たる無ではなく、何ものかであるとされます。こうしてムウタズィラ派神学者たちは神の創造行為を純然たる無からではなく、まだ現実には存在していない何ものかを現実に存在させる行為であると考えます(とはいえ、彼らもあくまで「無からの創造」説をとるようなので、この辺はかなり微妙です)。
キンディーもまた神の創造行為(ibdāʿ)のことを、或るもの(šayʾ)を非存在(lays)から顕現させること(iẓhār)の意だと考えます。彼の議論の第 1 のソースは、コーラン第 36 章第 78-82 節(「何か(šayʾ)を望まれると、彼〔神〕が「有れ(kun)」と御命じになれば、すなわち有る」)です。ここでムハンマドは創造以前のまだ現実には存在していない非存在者に対して「もの(šayʾ)」という表現を用い、さらに神はその創造以前のものに対して 2 人称(「有れ」)で語りかけています。これはすなわち創造以前の状態にある非存在者が純然たる無ではないことを意味します。またこれと同時にキンディーは、おそらく『自然学』第 1 巻第 7-8 章にも依拠しています。同所でアリストテレスは「全ての変化はその対立物から起こる」というテーゼを展開しています。キンディーはこの議論を存在 / 非存在の対立軸と結びつけることで、創造という変化もまた非存在者から存在者へという方向で起こると考えるわけです。
ただしここで注意しなければならないのは、『自然学』第 1 巻第 8 章で展開されている世界永遠説の処理です。同所でアリストテレスは神の創造行為を他の一般的な変化と類比的に捉えることにより、世界の永遠性を肯定しようとしています([1]生成とは変化ないし運動と同様、可能的な何ものか、すなわち質料的基体が現実化することを指す;[2]生成も変化ないし運動と同様、時間の内で起こる。だがあらゆる変化にはその変化が起こるまさにその瞬間に先立つ瞬間がある。ところでいかなる変化においてもそうした瞬間があるとすれば、時間は永遠だということになる。ちなみに時間とは運動の尺度[measure]である。従って時間が永遠であれば、運動も永遠だということになる。ところで世界とは運動の総体である。とすれば、世界もまた永遠だと考えざるをえない)。ところがキンディーはアリストテレスとは異なり、世界の永遠性を否定します。その際に彼が依拠するのが、フィロポノス(570 年頃没)による『自然学』批判(『世界の永遠性について』)です。フィロポノスは神の創造行為を他の一般的な変化とは異なるものとして捉えています。おそらく彼のそうした議論に依拠しつつ、キンディーは神の創造行為を他の一般的な変化とは異なり、質料的基体を必要とせず([1]への反論)、非時間的に起こる([2]への反論)特殊な変化と考えるわけです。こうして一方でコーランに、他方でアリストテレスおよびフィロポノスに従いつつキンディーが提出した見解は、存在者に対立する「もの」としての非存在者が存在者へと現実化するプロセスとして創造行為を理解するシャッハームの見解と軌を一にしていることがわかります。
このようにキンディーが示した見解は、さまざまな点でムウタズィラ派のそれと一致するものでした。キンディーとムウタズィラ派との関係性は、厳密には確定できません。「キンディーは哲学者のなかで最も神学者寄りの人物であり、またムウタズィラ派のなかで最も哲学者寄りの人物である」(Jolivet, L’intellect selon Kindī [1971], 156)とする説もあれば、「キンディーはムウタズィラ派のことを意識しており、彼らに答えるかたちで議論を展開しているが、どちらかといえば彼は同派のことを同盟者ではなく、知的ライバルと考えていた」(Ivry, “Al-Kindi and the Mu‘tazilah: A Reevaluation”, in: id. [tr.], Al-Kindi’s Metaphysics [1974], 22-34)とする説もあります。しかし本論文で Adamson は次のような説を提出します。キンディーは古代ギリシアの哲学伝統を参照することにより、当時の神学上の諸問題を解決しようと考えていた。たしかに彼は同派と多くの点で同一の見解を提出している。だが彼は神学者(mutakallim)ではない。(あくまで哲学者[faylasūf]として)ギリシア由来の哲学が当時まさに議論されていたさまざまな神学上の問題と密接なつながりを有することを神学者たちに示そうとしていたのである。キンディーにとってムウタズィラ派神学は、古代ギリシアの哲学伝統をイスラムの知的環境に対して知らしめるための、1 つの好機(opportunity)だったのだ。これが妥当な落としどころなのか判断する能力は、私にはありません。
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