Donnerstag, 13. September 2012

アダムソン「キンディー派の伝統:アラビア新プラトン主義における哲学の構造」

Adamson, P., “The Kindian Tradition: The Structure of Philosophy in Arabic Neoplatonism”, in: C. D’Ancona (ed.), The Libraries of the Neoplatonists (Philosophia Antiqua 107), Leiden: Brill, 2007, 351-70.

『アリストテレスの神学』やキンディーを中心とした古代末期のギリシア哲学および最初期のアラビア哲学研究で有名な Adamson による一本。彼は著書『キンディー』(P. Adamson, Al-Kindī, Oxford: Oxford UP, 2007)のなかで、キンディー(866 年没?)ならびに彼から薫陶を受けた哲学者たち(「キンディー派」)の体系に特有の諸要素を論じましたが(第 1 章)、本論文ではそのなかから特に代表的な要素の1つとして学問論が取りあげられています。なお Adamson の言う「キンディー派」(the Kindians)は、次のような人々(ないし集団)から構成されます。

1) アフマド・イブン=タイイブ・サラフスィー(899 年没[キンディーの直弟子])
2) アブー=ザイド・バルヒー(934 年没[直弟子]
3) アブー=マアシャル(886 年没[キンディーと親交があり、彼の宇宙論から影響を受けている])
4) アブルハサン・アーミリー(992 年没[アブー=ザイドの弟子;al-Iʿlām bi-manāqib al-Islām や al-Fuṣūl fī l-maʿālim al-ilāhiyya などの著者]) 
5) イブン=ファリーグーン(没年不詳[アブー=ザイドの弟子;Ğawāmiʿ al-ʿulūm の著者])
6) アブー=ハーミド・イスフィザーリー(10 世紀半ば活躍[Kitāb fī masāʾil al-umūr al-ilāhiyya の著者;同書中にはプラトン『国家』のアラビア語抄訳が収録されている])
7) クスター・イブン=ルーカー(912 年頃没[学問論に関してはキンディーに直接依拠していると見られる])
8) イサク・イスラエリ(907 年頃没)
9) ミスカワイヒ(1030 年没[倫理学書でキンディーを引用])
10) イフワーン・サファー(10 世紀頃バスラで活動「純潔同胞団」])
11) アブー=スライマーン・スィジスターニー(985 年没[ヤフヤー・イブン=アディー(974 年没)の弟子でバグダード派アリストテレス主義者の一人であるが、学問論においてはキンディーに近い])

通常、逍遥学派学問論においては、諸学は階層構造をなすと考えられます。上位の学で探究・論証されたことがらは下位の学にとっての原理(mabādiʾ al-wuğūd)となり、逆に下位の学で探究・論証されたことがらは上位の学で探究を行う際の足がかり(mabādiʾ at-taʿlīm)となる。あらゆる学はこうした階層構造のもとで有機的に連関し、結果、緊密な統一体を形成することになる。これが逍遥学派学問論にのっとった一般的な学問理解です。たとえばバグダード派アリストテレス主義者を代表するファーラービー(950 年没)もこうした学問理解をとっているし、彼から多大な影響を受けたアヴィセンナ(1037 年没)もまた同様の見解をとっています。

ところがキンディー派の伝統においては、このような学問理解はとられません。たしかに彼らも諸学のあいだに序列があることは認めます。キンディーが諸学の頂点に第一哲学としての形而上学(神学)をおいたことは周知のとおりです。けれども彼らはそれらが有機的な階層構造をなすとまでは言いません。彼らによれば、諸学はあくまで個々に独立してなりたっているとされるのです。

キンディー派がこうした学問理解に至った原因として、Adamson は次の 2 点を挙げます。(1)キンディーの時代にはまだアリストテレスの『分析論後書』がアラビア語に翻訳されていなかった。そのため同書中で展開されている諸学の有機的連関というアイディアがキンディーには伝わらなかった。(2)キンディー派では、人間は感覚作用と知性作用という 2 つの能力をもつとされていた。前者は自然的なことがらを探究する際にのみ用いられ、後者は神的知性的なことがらを探究する際にのみ用いられる。ただし、だからといって、前者の探究に基づいて後者の探究がなされるということにはならない。むしろ両者は厳密に区別される必要があると彼らは考えた。そのためキンディー派においては、例えば自然学のような可感的事物を対象とする学と形而上学のような非質料的不変的事物を対象とする学とは截然と区別されることになり、同様にして他のすべての学のあいだにも有機的な連関が想定されえなくなった。

こうしたキンディー派学問理解はある重大な帰結をもたらします。それは哲学と宗教諸学(ハディース学・法学・思弁神学など)との融和です。上述のとおり、ファーラービーのようなバグダード派アリストテレス主義者らがとった学問理解に沿えば、諸学は緊密な統一体をなします。この厳密さの故に、彼らにおいては哲学諸学の階層内に宗教諸学が入り込むことは困難となります。結果として、例えばファーラービーは論証的な学としての哲学よりも一段劣る弁証術的学として思弁神学を捉え、哲学的真理を啓示の上位におくことになります。他方でキンディー派においては、諸学が緊密な統一体をなすとは考えられないため、宗教諸学と哲学諸学とが矛盾なく共生することができます。その結果、彼らは啓示を哲学的真理の上位におき、論理学・数学・自然学が形而上学から独立して成立しうるのと同様、ハディース学・法学・思弁神学なども哲学から独立して成立しうると主張するに至るわけです。

ファーラービーを通じたアヴィセンナの形而上学構想はこうしたキンディー派の伝統を乗り越えるものでした。そのため彼らの伝統がアヴィセンナ以後の哲学史に対して大きな影響を与えることはなかったといいます。しかし少なくともその学問理解にかぎって見れば、キンディー派の哲学者たちはアヴィセンナ以後の哲学者・神学者たちが行うはるか以前から、イスラム思想の主要潮流内に哲学を織り交ぜることに成功しており、この点で彼らの伝統はアヴィセンナ以後の哲学伝統を先取りしていたとも言えるのです。

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