Treiger, A., ''Avicenna's Notion of Transcendental Modulation of Existence (Taškīk al-wuğūd, analogia entis) and Its Greek and Arabic Sources'', in: F. Opwis & D. Reisman (eds.), Islamic Philosophy, Science, Culture, and Religion: Studies in Honor of Dimitri Gutas, Leiden: Brill, 2012, 327-63.
「存在者(希 on / 亜 mawjud / 羅 ens)」という語は、一義的な述語でもなければ多義的な述語でもない。むしろそれは両者の中間的な性格をもつ述語である。このような考え方は存在論の歴史においてしばしば現れるもので、アラビア(ないしイスラム)ではモッラー・サドラー(1640 年没)の「存在の類比性[Treiger の訳語に従えば「存在の変調」](tashkik al-wujud)」説を、ラテンではトマス・アクィナス(1274 年没)の「存在のアナロギア(analogia entis)」説を、それぞれ有名どころとして挙げることができます。しかしひと口に「類比性」「アナロギア」と言っても、その意味するところは歴史上移りゆきます。一般に「存在の類比性」と言った場合、想起されるのは神と被造物それぞれに対して述語づけられる存在の類比性です。神も被造物も共通して「存在」(ないし「存在者」)と言われます。しかし両者がともに同じ仕方でそう言われるわけではありません。そこには先行・後行や強弱、あるいは適切さなどの面で差異があるでしょう。何故なら被造物は神によって存在を付与されているため、神の方が被造物よりも存在において先であるし、強いし、また適切だと考えられるからです。このような類比を、Treiger は「超越論的(transcendental)」類比と呼びます。しかし類比性概念の歴史を遡ってみると、大もとにあったのはこのタイプの類比性ではないということがわかります。超越論的類比に先だって哲学者たちが論じていた類比、それは(Treiger の言葉を借りるならば)「カテゴリー論的(predicamental)」類比です。
このタイプの類比が論じられる場合、問題となるのはアリストテレスのいわゆる「10 のカテゴリー」に対する存在の述語づけです。アリストテレスも『形而上学』で言っているとおり、存在とは 10 のカテゴリーにとっての類概念のようなもの(あくまで「のようなもの」であって、厳密な意味での「類」ではない)であり、それらすべてに対して述語づけられるようなものです(例:「実体は存在する」「性質は存在する」)。ところがすべてのカテゴリーがすべて同じ仕方で「存在する」と言われるわけではありません。そこには例えば先行・後行などのちがいがあるでしょう。何故ならあらゆる付帯性は実体を通じて存在する以上、実体の方が付帯性よりも存在において先だからです。つまりまずこのようなカテゴリー論的類比論があって、その後ある時点においてそこから超越論的類比論が派生的に現れたということです。では、後者はいつの時点で前者から派生したのでしょうか。Treiger によると、それはアヴィセンナにおいてであるとされます(=ファーラービー説[Ph. Vallat, Farabi et l'école d'Alexandrie: Des prémisses de la connaissance à la philosophie politique, Paris: Vrin, 2004]への反駁)。本論文はこうした観点から、アリストテレスにはじまり、アフロディシアスのアレクサンドロス(211 年没)、ポルフュリオス(304 年没)、エリアス(580 年頃没)、ファーラービー(950 年没)、そしてイブン=タイイブ(1043 年没)らを経て、アヴィセンナ(1037 年没)へと至る流れのなかで、「存在の類比性」という考え方がどのような変遷をたどったか概観した労作です。
アリストテレスは『形而上学』において、「存在」は多様に語られるという有名な言葉を残しています。これに従えば、「存在」は多義語になります。ところが彼は「存在は多義語でない」と言います。何故なら存在(であるかぎりでの存在)は形而上学という 1 つの学の主題となる概念ですが、多義的であるようなものはいかなる学の主題にもなりえないからです。そこでアリストテレスは存在のことを多義的な述語と一義的な述語の中間に位する述語(「一なるものと一なる本性に対して(pros hen kai mian tina physin)〔述語づけられるような述語〕」)と捉えるようになります。これは一見すると、意味不明の表現にしか見えませんが、Treiger によるとここでの「一なるもの」とは実体のことを、「一なる本性」とはその実体の存在様態(つまり付帯性)のことを指しており、それ故、実体と付帯性に対する存在の述語づけを論ずるカテゴリー論的類比論の端緒はここに見出されるのだと言います。ところがアリストテレスは『カテゴリー論』においては、あらゆる述語は一義的なものか多義的なもののいずれかに分類されると言っています。『形而上学』においては存在は一義的な述語と多義的な述語のあいだにある中間的な述語だと言われながら、『カテゴリー論』では中間的な述語など存在しないと言われているわけです。
後のアリストテレス註釈者たちはこの 2 つの相矛盾する発言の解釈をめぐって 2 つの流派に分かれることになります。1 つはアレクサンドロスの流派(エリアス、偽エリアス、ダヴィト・アンハグト[600 年頃没]、ステファノス[7 世紀前半に活躍]、ヤフヤー・イブン=アディー[974 年没]、アブー=ビシュル・マッター[940 年没]、アッリーヌス[?])。彼はアリストテレスの『形而上学』での発言を重視し、存在は一義的な述語と多義的な述語のあいだにある中間的な述語(aph'henos kai pros hen 型の述語[一なるもの〔の観点(?)〕から、そして一なるものに対して述語づけられるような述語?(『ニコマコス倫理学』に由来する表現)])だと考えます(『形而上学註解』)。この表現は私には意味がよくわからなかったのですが、Treiger によると、上で見た『形而上学』中に現れるアリストテレスのフレーズ「一なるものと一なる本性に対して」と同内容であると言います。もう一方はポルフュリオスの流派(アンモニオス[520 年頃没]、イブン=タイイブ)。彼はアリストテレスの『カテゴリー論』での発言を重視し、存在は(一義的な述語ではない以上)多義的な述語とせざるをえないと考えます(『エイサゴーゲー』)。ただしここで注目すべきは、彼が多義語を純粋な多義語とそうでない多義語とに区分し、存在を後者のタイプの多義語の1つ(aph'henos / pros hen[一なるもの〔の観点(?)〕から / 一なるものに対して〔述語づけられるような述語〕])としている点です。アレクサンドロスとポルフュリオスとでは、そもそも「一義的」「多義的」という分類の枠組みとなる概念が意味合いを異にしているのです。
後代になると、この点に着目し、双方の立場を調停しようとする人々が現れてきます。その 1 人として挙げられるのが、アリストテレスとポルフュリオスへの註釈で知られるエリアスです。彼は存在を類(つまり一義語)とする立場をプラトンに、多義的な語とする立場をアリストテレスに帰し、両者を次のように和解させます。多義語とはそれが述語づけられるさまざまな概念が名においては共通するが、定義においては共通しないような語、類とはそうした諸概念が名においても定義においても共通しているような語を指す。そして両者ともにその下に包含される種どもはそれを同様の仕方で共有している。ところが aph'henos kai pros hen 型の語は類同様、諸概念が名においても定義においても共通していながら、その下に包含される種どもは異なる仕方でそれを共有している、そういったたぐいの語である。従ってこのタイプの語に属する存在は一義語と多義語のあいだにある中間的な語となる。ところで中間にあるものはその両端にあるもののいずれの名でも呼ばれうる。そのためプラトンとアリストテレスのあいだに見解の相違はない。こうしてエリアスはアリストテレス註解の伝統における存在把握の 2 つの流派を調停することになります。
ここで最も重要なのは、aph'henos kai pros hen 型の語の定義の仕方です。アリストテレス、アレクサンドロス、ポルフュリオスはこの型の語を多義語の 1 種として捉えてきました。ところがここでエリアスはそれをむしろ一義語に近いもの(Treiger の言葉を借りるならば、類比的な一義語[modulated univocal])として捉えなおしています。後期アレクサンドリアの伝統において起こったこのような変化は、後の類比性概念の展開に大きな影響をおよぼしたようです。ファーラービーは『命題論に関する小論考』において、「存在者」「もの」「一」は 10 のカテゴリーに対して多義的に(bi-shtirak)述語づけられるが、正確に言えばこれらは「その多義性が序列と比例のそれである[one of ''order and proportionality'' / bi-tartib wa-bi-tanasub(?)]ような多義語」だと言います。Treiger によると、これはエリアスの言う aph'henos kai pros hen 型の語と対応するのだそうです。またアヴィセンナの同時代人であるイブン=タイイブは『エイサゴーゲー』において上述のようにポルフュリオスに従い、語は一義的か多義的のいずれかでなければならないと言います。しかしそれと同時に彼はエリアスにも従って、「多義語」だからといって必ずしも厳密に「多義」でなければならない(つまり諸概念が同様の仕方で共有してさえいなければ、それでその語は十分に「多義語」と見なされる)と考えます。このように初期アラビア哲学における類比性概念は、上述のエリアスが行った調停ないし改変からかなりの影響を受けていることがわかります。
ただしこれまでに触れたどの哲学者も類比性について論じる際には、カテゴリー論的類比論しか展開していませんでした。ここから超越論的類比論を引き出したのは、アヴィセンナです。以下ごく簡単にアヴィセンナにおける 2 つの類比論を概観しておきます。彼は『治癒』「カテゴリー論」において、カテゴリー論的類比論を展開しています。それによると、彼は述語に次の 3 つの種類を認めていたのだそうです。(1)類比的な一義語、(2)純粋でない多義語、(3)純粋な多義語。このうち(1)との関連で彼は「類比」そのものを、(i)絶対的な意味での(mutlaqan)類比と(ii)関係的な(bi-hasab an-nisba)類比とに二分し、前者を(i.a)先行・後行における類比、(i.b)適切さの程度における類比、(i.c)強弱における類比に、後者を(ii.a)一なる原理との関係での類比、(ii.b)一なる目標との関係での類比、(ii.c)一なる原理と目標との関係での類比に、それぞれ区分けします。最も目を引くのは、彼が上述の aph'henos kai pros hen 型の語を類比語の下位区分の 1 つ(関係的な意味で類比的な一義語[ii.a-c])としている点です。では問題の超越論的類比についてはどうでしょうか。何故彼は既存の枠組みからはみだし、このような新型の類比について論じなければならなかったのでしょうか。それは Treiger の論述から推測するに、おそらく神学と存在論をともに含んだ「存在者であるかぎりでの存在者」に関する学、すなわち形而上学という学を成立させるためだったと思われます。彼は『探究』において、超越論的類比について論じています。彼の議論はある質問に対する回答のかたちをとっています。質問内容は簡単にまとめると、次のようになります。「存在必然者たる神の存在と存在可能者たる被造物どもの存在とが同じ意味をもつはずがない。とすれば、ここでの存在は多義語(al-asma' al-mushtaraka)だということになる。しかし多義語に関する学など成立しはしない」。これに対してアヴィセンナは次のように答えます。「存在は多義語ではない。むしろそれは類比語(al-asma' al-mushakkika)である」。もし仮に神と被造物とのあいだで「存在」の意味内容が異なるならば、存在者それ自体に関する学の枠内で両者の存在を論じることができなくなってしまう。実際には、神と被造物とのあいだで「存在」の意味内容は同一である(ただし先行・後行や強弱、適切さなどの点でならば、ちがいはある)。だからこそ、形而上学という学の枠内で神学と存在論は両立するのだ。アヴィセンナにとって、超越論的類比は自身の形而上学構想を成立させるための 1 つの道具立てだったのでしょう。
「存在者(希 on / 亜 mawjud / 羅 ens)」という語は、一義的な述語でもなければ多義的な述語でもない。むしろそれは両者の中間的な性格をもつ述語である。このような考え方は存在論の歴史においてしばしば現れるもので、アラビア(ないしイスラム)ではモッラー・サドラー(1640 年没)の「存在の類比性[Treiger の訳語に従えば「存在の変調」](tashkik al-wujud)」説を、ラテンではトマス・アクィナス(1274 年没)の「存在のアナロギア(analogia entis)」説を、それぞれ有名どころとして挙げることができます。しかしひと口に「類比性」「アナロギア」と言っても、その意味するところは歴史上移りゆきます。一般に「存在の類比性」と言った場合、想起されるのは神と被造物それぞれに対して述語づけられる存在の類比性です。神も被造物も共通して「存在」(ないし「存在者」)と言われます。しかし両者がともに同じ仕方でそう言われるわけではありません。そこには先行・後行や強弱、あるいは適切さなどの面で差異があるでしょう。何故なら被造物は神によって存在を付与されているため、神の方が被造物よりも存在において先であるし、強いし、また適切だと考えられるからです。このような類比を、Treiger は「超越論的(transcendental)」類比と呼びます。しかし類比性概念の歴史を遡ってみると、大もとにあったのはこのタイプの類比性ではないということがわかります。超越論的類比に先だって哲学者たちが論じていた類比、それは(Treiger の言葉を借りるならば)「カテゴリー論的(predicamental)」類比です。
このタイプの類比が論じられる場合、問題となるのはアリストテレスのいわゆる「10 のカテゴリー」に対する存在の述語づけです。アリストテレスも『形而上学』で言っているとおり、存在とは 10 のカテゴリーにとっての類概念のようなもの(あくまで「のようなもの」であって、厳密な意味での「類」ではない)であり、それらすべてに対して述語づけられるようなものです(例:「実体は存在する」「性質は存在する」)。ところがすべてのカテゴリーがすべて同じ仕方で「存在する」と言われるわけではありません。そこには例えば先行・後行などのちがいがあるでしょう。何故ならあらゆる付帯性は実体を通じて存在する以上、実体の方が付帯性よりも存在において先だからです。つまりまずこのようなカテゴリー論的類比論があって、その後ある時点においてそこから超越論的類比論が派生的に現れたということです。では、後者はいつの時点で前者から派生したのでしょうか。Treiger によると、それはアヴィセンナにおいてであるとされます(=ファーラービー説[Ph. Vallat, Farabi et l'école d'Alexandrie: Des prémisses de la connaissance à la philosophie politique, Paris: Vrin, 2004]への反駁)。本論文はこうした観点から、アリストテレスにはじまり、アフロディシアスのアレクサンドロス(211 年没)、ポルフュリオス(304 年没)、エリアス(580 年頃没)、ファーラービー(950 年没)、そしてイブン=タイイブ(1043 年没)らを経て、アヴィセンナ(1037 年没)へと至る流れのなかで、「存在の類比性」という考え方がどのような変遷をたどったか概観した労作です。
アリストテレスは『形而上学』において、「存在」は多様に語られるという有名な言葉を残しています。これに従えば、「存在」は多義語になります。ところが彼は「存在は多義語でない」と言います。何故なら存在(であるかぎりでの存在)は形而上学という 1 つの学の主題となる概念ですが、多義的であるようなものはいかなる学の主題にもなりえないからです。そこでアリストテレスは存在のことを多義的な述語と一義的な述語の中間に位する述語(「一なるものと一なる本性に対して(pros hen kai mian tina physin)〔述語づけられるような述語〕」)と捉えるようになります。これは一見すると、意味不明の表現にしか見えませんが、Treiger によるとここでの「一なるもの」とは実体のことを、「一なる本性」とはその実体の存在様態(つまり付帯性)のことを指しており、それ故、実体と付帯性に対する存在の述語づけを論ずるカテゴリー論的類比論の端緒はここに見出されるのだと言います。ところがアリストテレスは『カテゴリー論』においては、あらゆる述語は一義的なものか多義的なもののいずれかに分類されると言っています。『形而上学』においては存在は一義的な述語と多義的な述語のあいだにある中間的な述語だと言われながら、『カテゴリー論』では中間的な述語など存在しないと言われているわけです。
後のアリストテレス註釈者たちはこの 2 つの相矛盾する発言の解釈をめぐって 2 つの流派に分かれることになります。1 つはアレクサンドロスの流派(エリアス、偽エリアス、ダヴィト・アンハグト[600 年頃没]、ステファノス[7 世紀前半に活躍]、ヤフヤー・イブン=アディー[974 年没]、アブー=ビシュル・マッター[940 年没]、アッリーヌス[?])。彼はアリストテレスの『形而上学』での発言を重視し、存在は一義的な述語と多義的な述語のあいだにある中間的な述語(aph'henos kai pros hen 型の述語[一なるもの〔の観点(?)〕から、そして一なるものに対して述語づけられるような述語?(『ニコマコス倫理学』に由来する表現)])だと考えます(『形而上学註解』)。この表現は私には意味がよくわからなかったのですが、Treiger によると、上で見た『形而上学』中に現れるアリストテレスのフレーズ「一なるものと一なる本性に対して」と同内容であると言います。もう一方はポルフュリオスの流派(アンモニオス[520 年頃没]、イブン=タイイブ)。彼はアリストテレスの『カテゴリー論』での発言を重視し、存在は(一義的な述語ではない以上)多義的な述語とせざるをえないと考えます(『エイサゴーゲー』)。ただしここで注目すべきは、彼が多義語を純粋な多義語とそうでない多義語とに区分し、存在を後者のタイプの多義語の1つ(aph'henos / pros hen[一なるもの〔の観点(?)〕から / 一なるものに対して〔述語づけられるような述語〕])としている点です。アレクサンドロスとポルフュリオスとでは、そもそも「一義的」「多義的」という分類の枠組みとなる概念が意味合いを異にしているのです。
後代になると、この点に着目し、双方の立場を調停しようとする人々が現れてきます。その 1 人として挙げられるのが、アリストテレスとポルフュリオスへの註釈で知られるエリアスです。彼は存在を類(つまり一義語)とする立場をプラトンに、多義的な語とする立場をアリストテレスに帰し、両者を次のように和解させます。多義語とはそれが述語づけられるさまざまな概念が名においては共通するが、定義においては共通しないような語、類とはそうした諸概念が名においても定義においても共通しているような語を指す。そして両者ともにその下に包含される種どもはそれを同様の仕方で共有している。ところが aph'henos kai pros hen 型の語は類同様、諸概念が名においても定義においても共通していながら、その下に包含される種どもは異なる仕方でそれを共有している、そういったたぐいの語である。従ってこのタイプの語に属する存在は一義語と多義語のあいだにある中間的な語となる。ところで中間にあるものはその両端にあるもののいずれの名でも呼ばれうる。そのためプラトンとアリストテレスのあいだに見解の相違はない。こうしてエリアスはアリストテレス註解の伝統における存在把握の 2 つの流派を調停することになります。
ここで最も重要なのは、aph'henos kai pros hen 型の語の定義の仕方です。アリストテレス、アレクサンドロス、ポルフュリオスはこの型の語を多義語の 1 種として捉えてきました。ところがここでエリアスはそれをむしろ一義語に近いもの(Treiger の言葉を借りるならば、類比的な一義語[modulated univocal])として捉えなおしています。後期アレクサンドリアの伝統において起こったこのような変化は、後の類比性概念の展開に大きな影響をおよぼしたようです。ファーラービーは『命題論に関する小論考』において、「存在者」「もの」「一」は 10 のカテゴリーに対して多義的に(bi-shtirak)述語づけられるが、正確に言えばこれらは「その多義性が序列と比例のそれである[one of ''order and proportionality'' / bi-tartib wa-bi-tanasub(?)]ような多義語」だと言います。Treiger によると、これはエリアスの言う aph'henos kai pros hen 型の語と対応するのだそうです。またアヴィセンナの同時代人であるイブン=タイイブは『エイサゴーゲー』において上述のようにポルフュリオスに従い、語は一義的か多義的のいずれかでなければならないと言います。しかしそれと同時に彼はエリアスにも従って、「多義語」だからといって必ずしも厳密に「多義」でなければならない(つまり諸概念が同様の仕方で共有してさえいなければ、それでその語は十分に「多義語」と見なされる)と考えます。このように初期アラビア哲学における類比性概念は、上述のエリアスが行った調停ないし改変からかなりの影響を受けていることがわかります。
ただしこれまでに触れたどの哲学者も類比性について論じる際には、カテゴリー論的類比論しか展開していませんでした。ここから超越論的類比論を引き出したのは、アヴィセンナです。以下ごく簡単にアヴィセンナにおける 2 つの類比論を概観しておきます。彼は『治癒』「カテゴリー論」において、カテゴリー論的類比論を展開しています。それによると、彼は述語に次の 3 つの種類を認めていたのだそうです。(1)類比的な一義語、(2)純粋でない多義語、(3)純粋な多義語。このうち(1)との関連で彼は「類比」そのものを、(i)絶対的な意味での(mutlaqan)類比と(ii)関係的な(bi-hasab an-nisba)類比とに二分し、前者を(i.a)先行・後行における類比、(i.b)適切さの程度における類比、(i.c)強弱における類比に、後者を(ii.a)一なる原理との関係での類比、(ii.b)一なる目標との関係での類比、(ii.c)一なる原理と目標との関係での類比に、それぞれ区分けします。最も目を引くのは、彼が上述の aph'henos kai pros hen 型の語を類比語の下位区分の 1 つ(関係的な意味で類比的な一義語[ii.a-c])としている点です。では問題の超越論的類比についてはどうでしょうか。何故彼は既存の枠組みからはみだし、このような新型の類比について論じなければならなかったのでしょうか。それは Treiger の論述から推測するに、おそらく神学と存在論をともに含んだ「存在者であるかぎりでの存在者」に関する学、すなわち形而上学という学を成立させるためだったと思われます。彼は『探究』において、超越論的類比について論じています。彼の議論はある質問に対する回答のかたちをとっています。質問内容は簡単にまとめると、次のようになります。「存在必然者たる神の存在と存在可能者たる被造物どもの存在とが同じ意味をもつはずがない。とすれば、ここでの存在は多義語(al-asma' al-mushtaraka)だということになる。しかし多義語に関する学など成立しはしない」。これに対してアヴィセンナは次のように答えます。「存在は多義語ではない。むしろそれは類比語(al-asma' al-mushakkika)である」。もし仮に神と被造物とのあいだで「存在」の意味内容が異なるならば、存在者それ自体に関する学の枠内で両者の存在を論じることができなくなってしまう。実際には、神と被造物とのあいだで「存在」の意味内容は同一である(ただし先行・後行や強弱、適切さなどの点でならば、ちがいはある)。だからこそ、形而上学という学の枠内で神学と存在論は両立するのだ。アヴィセンナにとって、超越論的類比は自身の形而上学構想を成立させるための 1 つの道具立てだったのでしょう。
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