Donnerstag, 29. März 2012

アイヒナー「アラビア哲学・イスラム神学における13世紀的展望」

Eichner, H., ''Essence and Existence. Thirteenth-Century Perspectives in Arabic-Islamic Philosophy and Theology: Fahr al-Din al-Razi's al-Mulahhas fi al-hikma and the Arabic Reception of Avicennian Philosophy'', in: D. N. Hasse & A. Bertolacci (eds.), The Arabic, Hebrew and Latin Reception of Avicenna's Metaphysics (SGA 7), Berlin: de Gruyter, 2012, 123-51.

13世紀以降のアラビア哲学とイスラム神学がアヴィセンナ形而上学を受容していく、そのプロセスにおいて、ファフルッディーン・ラーズィー(Fakhr al-Din al-Razi, 1210年没)が果たした役割を、彼の主著の1つ『叡智提要al-Mulakhkhas fi l-hikma』を中心に考察するという主旨の論文。ラーズィーの『叡智提要』(および『東方的探究al-Mabahith al-mashriqiyya』)は、後の哲学的神学者の著述スタイルに多大な影響を与えた著作で、具体的にはアヴィセンナが『治癒al-Shifa'』や『救済al-Najat』の形而上学・自然学部で論じているテーマを、「形而上学」「自然学」という章立てで論じるのではなく、「必然者」「可能者」という章立てで論じている点が特徴なのだとか。こうした構成は、たしかに私が知っている限りでも、イージー('Adud al-Din al-Iji, 1356年没)やタフターザーニー(Sa'd al-Din al-Taftazani, 1389/90年没)らがとっています。

ラーズィーは一般にアヴィセンナ哲学批判者として知られています。事実彼はアヴィセンナの『指示と勧告al-Isharat wa-l-tanbihat』に対して批判的な注釈を付してもいます。ところが、それではラーズィーはアヴィセンナのどのような学説を批判し、またそれが後代の哲学者・神学者たちにどのような影響を与えたのかという話になると、詳細な研究はなされていないのが現状です。Eichner によると、ラーズィーの存在論上の学説のなかで特に注目すべきは、次の2点になります。即ち(1)意識内存在(al-wujud al-dhihni)の否定と、(2)存在の共有説(musharakat al-wujud)です。まず(1)から見ていきます。アヴィセンナは「存在」を「具体的存在(al-wujud fi l-a'yan)」と、「意識内存在(al-wujud fi l-adhhan)」とに二分します。前者は外界に具体的に存在する場合の「存在」、後者は外界には存在せず意識内にのみ存在する場合の「存在」です。しかしラーズィーはこのうち後者の存在を否定するのだそうです。これが(1)。次に(2)です。アヴィセンナは存在と本質の区別を根拠に、存在必然者(=神)において存在と本質は一だと言います。しかしラーズィーは存在必然者においても存在可能者と同様、存在と本質は区別される、あるいは存在は本質に対して付加されると主張します。つまりラーズィーにおいては、必然者であれ可能者であれ、本質は等しく存在を共有するとされるわけです。これが(2)です。

ただしEichner が言いたいのは、こうしたラーズィーの2つの学説が後代の哲学者・神学者たちによって広く受け入れられていった、などということではありません。むしろ彼女によると、これらの学説はいずれもあまり人気のない学説だったようです。彼女の主張は少し込み入っています。大雑把にいうと、『叡智提要』に見るラーズィーの学説は、必ずしも広く受け入れられたわけではないが、しかし後の学者たちが思考を行ううえでの土台にはなっていた、そしてそのことはテクストレベルでも確認される、というもの。検討対象としては、アブハリー(Athir al-Din al-Abhari, 1265年頃没)の『真理の開示Kashf al-haqa'iq』と『思考の限界Muntaha l-afkar』、およびその弟子カーティビー(Najm al-Din al-Katibi al-Qazwini, 1276年没)の『仔細の集成Jami' al-daqa'iq』などが取り上げられ、彼らの見解の推移とアヴィセンナ、ラーズィー、スフラワルディーからの影響が考察されていきます。しかしこの辺の議論は相当に錯綜していて、私にはほとんどついていくことができませんでした。

以前別の論文を読んだときも感じたのですが、どうも彼女の書く文章は何を言っているかわかりにくい気がします。とりあえずこの論文中で参照されていた以下の2つの論文はチェックしておいたほうがよさそうです。特に前者は偉大なる教授資格論文(未公刊)ですが、シリア語文献学の先生からこっそり電子ファイルをいただいているので、がんばって目を通そうと思います。

・Eichner, H. (2009): “The Post-Avicennian Tradition and Islamic Orthodoxy: Philosophical and Theological Summae in Context”, Habilitationsschrift, Universität Halle.
・— (2011): “‘Knowledge by Presence’, Apperception and the Mind-Body Relationship: Fakhr al-Din al-Razi and al-Suhrawardi as Representatives and Precursors of a Thirteenth-Century Discussion”, in: P. Adamson (ed. [2011]): In the Age of Averroes: Arabic Philosophy in the Sixth/Twelfth Century (Warburg Institute Colloquia 16), London: Warburg Institute, 117-40.

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