Samstag, 11. Februar 2012

ギョムベヤズ「ファナーリーにおける著作の帰属問題」

Gömbeyaz, K., ''Molla Fenârî'ye nispet edilen eserlerde aidiyet problemi ve Molla Fenârî bibliyografyası'', in: T. Yücedoğru et al. (eds.), Uluslararası Molla Fenârî Sempozyumu (4-6 Aralık 2009 Bursa): Bildiriler [International Symposium on Molla Fanārī (4-6 December 2009 Bursa): Proceedings], Bursa: Bursa büyük şehir belediyesi, 2010, 467-524.

ファナーリー(1431年没)における著作の真偽問題を精査した最新の研究論文です。ファナーリーの著作目録については、これまでBrockelmann (1943-49; 1936-42) や彼が依拠していたハーッジー・ハリーファ(1657年没)、Aşkar (1993) 、Khwajawi (2005) 、Aydın & Görgün (2005) などが折に触れて示してはきました。しかしこれらはいずれもきちんとした調査も経ずに、あるものないものひっくるめて何でもファナーリーに帰すことで不当に膨れ上がった目録を提示してきたにすぎないと、そうGömbeyaz は喝破します。今回は博士論文の序論部執筆の都合上、ひとまず真作だろうと考えられる著作のみをまとめておきます。

1. 現存が確認されている著作
a) 『コーラン開扉章注釈』('Ayn al-a'yan
ファナーリー61歳のときの著作。カラマン侯国滞在時に著されたもので、序論部(muqaddima)に見られる賛辞から、メフメト・ベイ(1424年没)への献呈作品と見られている。序論部では多くの紙幅をさいて、コーラン注釈の諸原理に関して論じられている。存在一性論特有の神秘的形而上学的な議論も展開されている。

b) 『聖法源学断章集』(Fusul al-bada'i' fi usul al-shara'i'
ハナフィー派法源学に関する著作。ファナーリー46歳の頃の著作で、ハナフィー派とシャーフィイー派のあいだにある法源学上の異なる学説を統一したもの。バズダウィー(1081年没)のUsul とイブン=ハージブ(1173年没)のal-Mukhtasar ならびにファフルッディーン・ラーズィー(1209年没)のal-Mahsul で取り上げられるテーマが収録されている。ファナーリーの存命中から複数の写本が書写されており、現存が確認されている最古のものはスレイマニイェ図書館所蔵Ms. Hacı Beşir Ağa 202(798 / 1395年書写)である。息子ムハンマド・シャー(*年没)は本書について提要Talkhis al-Fusul wa-tarsis al-usul を執筆している。

c) 『親密の灯』(Misbah al-uns
クーナウィー(1274年没)の『玄秘の鍵』(Miftah al-ghayb)に対してはじめて付された注釈。本書に対しては、ムハンマド・クトゥブッディーン・イズニキー(1480年没)、アブドゥッラー・イラーヒー(1491年没)、ムハンマド・シャー・ファナーリー(*年没)、ハーシム・エシュケヴァリー(*年没)、サイイド・ムハンマド・クンミー(*年没)、ムハンマド・リダー・クムシャイー(*年没)、ハサンザーデ・アームリー(*年没)らが注釈を付しており、著者不詳のFath al-Miftah という注釈も現存している 。

d) 『エイサゴーゲー注釈』(Sharh Isaghuji / al-Fawa'id al-Fanariyya
アブハリー(1264年没?)の論理学書『エイサゴーゲー』(Isaghuji)に対して付された最も有名な注釈の1つであり、オスマン朝のマドラサでは論理学のテクストとして使用されていた。特に冒頭部では学問論や存在者に関する議論が示されており、後代この部分は独立の論考として注釈や傍注の対象とされた。本書もファナーリーの存命中から書写がなされており、スレイマニイェ図書館所蔵Ms. Fatih 3285/8(fols. 168b-184b)は1409/10年に書写されたという 。本書に対して付された傍注には、アフマド・イブン=マフムード・イブン=ヒズル(?)・ディマシュキー(*年没)のKul Ahmad とブルハーヌッディーン・イブラーヒーム・イブン=カマールッディーン・ブルガリー(*年没)のal-Fara'id al-Burhaniyya fi tahqiq al-Fawa'id al-Fanariyya 、ムハンマド・イブン=アフマド・エディルネヴィー(*年没)のKhulasat al-mizan 、アブドゥッラー・イブン=・ハサン・アンサリー・カンクリー(チャンクリー)(*年没)のNafa'is ara'is al-anzar wa-lata'if fawa'id al-afkar 、マフムード・イブン=ムハンマド・イブン=アブディッダーイム・アズハリー(*年没)のNashr al-darari 'ala sharh al-Fanari 、ムハンマド・アミーン・シルワーニー(*年没)のJihat al-wahda(=本書序文に対する傍注)が知られている。この他にもアブドゥッラー・イブン=ハイダル・イブン=アフマド・ハイダリー(*年没)や「カラ・ハリール」ことハリール・イブン=ハサン・ティーラーウィー(*年没)、「シャウキー」ことアフマド・イブン=アブドゥッラー(*年没)、アブドゥッラヒーム・アリー・イブン=アブドゥッラー(*年没)、ユースフ・ハフナウィー(*年没)らが傍注を付している。なお本書はインドでは、Yikruzi という書名でタフターザーニー(Sa'd al-Din al-Taftazani, 1389/90年没)の著作として流布していたという。

e) 『諸物の実相に関する真理探究』(Tahqiq fi haqa'iq al-ashya'
イブン=アラビーの『メッカ啓示』(al-Futuhat al-Makkiyya)に現れる2バイトの詩「我は至高なる文字であった(kunna hurufan 'aliyatin)」への注釈と、それを理解するための10の前提(muqaddima)に関する考察からなる。Risāla fi al-taṣawwuf / al-Muqaddima al-'ashara / Sharh baytayn awwa-lu-huma kunna hurufan 'ariyatin [sic] / al-Risala al-qudsiyya fī bayān al-ma'arif al-sufiyya などの名でも知られている。

f) 『文法学基礎』(Asas al-sarf fi 'ilm al-tasrif
文法学に関する短い論考。序論と6つの章、そして結論からなる。本書に対しては、ムハンマド・シャーがTa'sis al-qawa'id harfan bi-harfin fi sharh maqasid Asas al-sarf という注釈を残している。

g) 『マスナヴィー序文注釈』(Sharh Dibajat al-Mathnawi
ルーミー(1273年没)のMathnawi 冒頭部に置かれたアラビア語の序文に対する短い注釈 。

h) 『サジャーワンディーの遺産相続論注釈』(Sharh al-Fara'id al-Sirajiyya
ハナフィー派法学者サジャーワンディー(1200年以降没)の遺産相続をめぐる著作al-Fara'id al-Sirajiyya に対して付された注釈の1つ。ファナーリーは学生たちが遺産相続(fara'id)に関して学ぶうえでの手助けとなるよう、本書を執筆したという 。

i) 『実定法大全提要注釈』(Sharh Talkhis al-Jami' al-kabir fi al-furu'
シャイバーニー(805年没)のal-Jami' al-kabir に関してハナフィー派法学者フラーティー(1254年没)が著した提要(talkhis)に対する注釈。未完の著作で、提要全体の6分の1ほどへの注釈しか完了していない。

j) 『迅速の論考』(Risala'i 'ujala / Risala dar matalib-i thalatha
ペルシア語著作。1) 創造の端緒と関係のあるハディース、2) 逍遥学派の支持する世界永遠説とは逆に、世界の有始性を唱える点で聖法学者と神秘主義者は見解の一致を見ているということ、逍遥学派の見解の起源、3) 真理探究の学('ilm al-tahqiq)は聖典ならびにスンナと調和的であるという、これら3つの問題が神秘主義的観点から論じられている 。

k) 『開示の書冒頭部傍注』(Ta'liqa 'ala awa'il al-Kashshaf
ザマフシャリー(1144年没)のコーラン注釈書al-Kashshaf の雌牛章第1-133節に対する傍注。現存が確認されている写本は、スレイマニイェ図書館所蔵Ms. Şehid Ali Paşa 183, 1r-38r(984/1576年書写)のみ。タシュキェプリザーデ(1561年没)やハーッジー・ハリーファ、イスマイル・パシャ(1920/1年没)は、本書をファナーリーに帰してはいないが、文体と参照される人物が『コーラン開扉章注釈』(1-a)におけるそれと類似していることなどから、Gömbeyaz はファナーリーへの帰属を主張している。

2. 現存が確認されていない著作
a) 『20の学に関する20のキトア』('Ishrun qit'a fi 'ishrin 'ilman / al-Risala al-manzuma
20キトア(qit'a)からなる韻文著作。それぞれのキトアでは、神学・コーラン注釈・ハディース学・キラーア・普遍的な論拠から派生的な論拠がどのようにして得られるか・理性的伝承的諸主題と関係するいくつかの問題・否定の意味を与える文字・lugha・sarf・nahw・'ilm al-ma'ani・'ilm al-bayan・'ilm al-badi'・論理学・神学・算術の四則・太陽と星々の運行・法学・測量・代数学という20の学問の枝葉が謎めいたかたちで論じられている。タシュキェプリザーデが本書の序文を引用しており、それによるとファナーリーは当時の先進的な学者らを試すために本書を1日で著したが、彼らはそれぞれのキトアで何の学問が論じられているか確定することができなかったという 。本書自体は現存が確認されていないが、ファナーリーの息子ムハンマド・シャーが本書に対する注釈を残しており、この注釈を通じてファナーリーが実際に書いたと見られる20キトアを再構成することができる。

b) 『神学の本質注釈』(Sharh Jawahir al-kalam
イージー(1355年没)は自著al-Mawāqif に関する提要を自らまとめ、これにJawahir al-kalam という名を与えたが、ファナーリーの孫ハサン・ファナーリーのHashiya 'ala Sharh al-Mawaqif によると、ファナーリーもまたこの提要に対して有益な注釈を付しているという。

c) 『文章と述語をめぐるファナーリーとエジプトの学者の議論』(Bahth al-Mulla al-Fanari wa-'ulama Misr fi al-insha' wa-al-khabar
ハーッジー・ハリーファによると、ファナーリーは1420年にエジプトへ行った際、「al-hamd li-llah」という表現は文章なのか述語なのかという点をめぐって同地のウラマーと議論を行った。この問題に関して、ファナーリーは文章説をとっている。

d) 『黎明傍注』(Hawashi al-Matali'
ウルマウィー(1288年没)の論理学書Matali' al-anwar に対する傍注。写本の現存は確認されておらず、ハーッジー・ハリーファも同書に付された注釈と傍注を列挙する際、ファナーリーには言及せず、彼の孫であるムハンマド・シャー・イブン=ユースフ・ファナーリー(1522年没)やアブッサナー・イスファハーニー(1348年没)が同書に対して傍注を付したことしか指摘していない。しかしファナーリー自身がその存在を自著『聖法源学断章集』(1-b)中で指摘しており、彼の息子ムハンマド・シャーも同書に対する注釈中で『黎明注釈』(Sharh al-Matali')として本書に言及している。『聖法源学断章集』(1-b)の現存する最古の写本は798 / 1395年に書写されているため、本書の成立年代はそれよりも早い時期と考えられる。

e) 『ウスマーン傍注』(Hawashi' al-'Uthman
マルギナーニー(1197年没)の遺産相続に関する著作al-Fara'id al-'uthmaniyya に対する注釈。ハーッジー・ハリーファは同書への注釈と傍注を列挙する際にファナーリーの名前には言及していないが、同じく遺産相続を主題とする自著『サジャーワンディーの遺産相続論注釈』(1-h)中で、ファナーリー自身が本書を参照している 。

f) 『誤謬論』(Risala fi al-ghalat
『聖法源学断章集』(1-b)で「誤謬(ghalat)」に関して論ずる際に、ファナーリー自身がその存在に言及している著作。同書の現存する最古の写本は1395年に書写されているため、本書の成立年代はそれよりも早い時期と考えられる。

g) 『諸論点に関する論考』(Risalat al-nukat
ハーッジー・ハリーファは何の情報も示していないが、 『聖法源学断章集』(1-b)で「論争(munazara)」の条件と作法に関して論ずる際に、ファナーリー自身が参照している著作。同書の現存する最古の写本は1395年に書写されているため、本書の成立年代はそれよりも早い時期と考えられる。

h) 『ナサフィーの断章集注釈への注釈』(Sharh Sharh al-Fusul li-l-Nasafi
ブルハーヌッディーン・ナサフィー(1289年没)のal-Fusul に対する注釈への注釈。どの図書目録でも言及されていないが、ムハンマド・シャーがUnmudhaj al-'ulum 中で 『聖法源学断章集』(1-b)とともに参照している。

[参照文献]
・Aşkar, M. (1993): Molla Fenârî ve vahdet-i vücûd anlayışı, Ankara: Muradiye kültür vakfı.
・Aydın, I. H. & T. Görgün (2005): “Molla Fenârî”, in: K. Güran (ed. [2005]): Türkiye diyanet vakfı İslâm ansiklopedisi, c. 30, İstanbul: Türkiye diyanet vakfı., 245-48.
・Brockelmann, C. (1943-49): Geschichte der arabischen Literatur, 2. Aufl., 2Bde., Leiden: Brill.
・— (1936-42): Geschichte der arabischen Literatur: Supplementband, 3Bde., Leiden: Brill.
・Khwajawi, M. (2005): ''[序文]'', in: Miftah al-ghayb li-Abi al-Ma'ali Sadr al-Din Muhammad b. Ishaq al-Qunawi wa-sharhu-hu Misbah al-uns li-Muhammad b. Hamza al-Fanari, ed. M. Khwajawi, 2nd ed., Tihrān: Mawlā, *-*.

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