Schmidtke, S.: Theologie, Philosophie und Mystik im zwölferschiitischen Islam des 9./15. Jahrhunderts: Die Gedankenwelten des Ibn Abī Ğumhūr al-Ahsāʾī (um 838/1434-35-nach 906/1501), Leiden: Brill, 2000, 55-65.
以前全体の序論にあたる部分(第1-2 章)を拾い読みしたSchmidtke のジュムフール本から、今度は属性論の箇所を読みました。ただし属性論に関しては、うれしいかな悲しいかな、長大な章がさかれているため(55-114)、今回はひとまず冒頭部の短い概説のみの拾い読みです。イブン=アビー=ジュムフール(1501 年以降に没)は15 世紀の12 イマーム・シーア派を代表する神学者で、哲学と神秘主義(存在一性論)からも強い影響を受けていた人物です。彼の属性論の根底にあるのは、存在一性論(waḥdat al-wuğūd)で(存在一性論における神の属性論に関しては、例えばこちらの記事を参照)、彼は同論の立場から先行するムウタズィラ派神学、アシュアリー派神学、そしてアヴィセンナ哲学における属性論を次々と批判していきます。
ムウタズィラ派神学(より具体的に言うと、アブー=ハーシム・ジュッバーイー[933 年没]学派)において、神の属性は「様態(aḥwāl)」とされます(様態に関してはこちらの記事を参照)。様態とはもともとはアラビア語文法学に由来する概念で、神が存在する際の副詞的なありかた、具体的には「生きる者(ḥayy)」「意志ある者(murīd)」「存在する者(mawğūd)」にとっての「生きる者性(ḥayyiyya)」「意志ある者性(murīdiyya)」「存在する者性(mawğūdiyya)」などを指すようです。それはあくまで「ありかた」であるため、神の本体ないし本質(ḏāt)と同一であるとも同一でないとも言えないし、永遠であるとも永遠でない(つまり有始的である)とも言えない、さらには存在者であるとも存在者でない(つまり非存在者である)とも言えない。ムウタズィラ派神学において属性は、このように完全に中間的な存在カテゴリーとして把握されることになります。他方アシュアリー派神学において、神の属性は「実質(maʿnā)」とされます。この語は中世アラビア語の思想タームのなかでもっとも翻訳の難しい語の1 つなのですが、基本的には上で触れた「生きる者」「意志ある者」「存在する者」といった神名をそれぞれ「生きる者」「意志ある者」「存在する者」たらしめている「生(ḥayāt)」や「意志(irāda)」「存在(wuğūd)」のようなもののことだとされています。最後にアヴィセンナ哲学においてですが、彼の哲学において神はいかなる属性ももたないとされます。何故なら神が複数の属性をもつなどと認めてしまったら、神の一性は(そしてひいてはその存在必然性も)確実に損なわれるからです。
ジュムフールの見解はこのうち哲学における属性論と近しいものです。彼はムウタズィラ派属性論とアシュアリー派属性論のいずれをも、神の本体に外部から夾雑物を付加する議論だと批判します(ただし同じムウタズィラ派でもアブルフサイン・バスリー[1044 年没]学派の学説は、アブー=ハーシム学派のそれとは異なり、むしろアシュアリー派の学説に近いらしく、ジュムフールはこれを一定の範囲内で支持しているとのこと[→ 一般にイスラム神学はムウタズィラ派 / アシュアリー派という紋切り型の分類に基づいて整理され、シーア派神学はこのうちムウタズィラ派神学の影響を強く受けていたと言われますが、このようなジュムフールの態度からも、旧態依然とした紋切り型の整理では厳密な思想史叙述にとって不十分ということがわかります])。彼によれば、ムウタズィラ派の「様態」論もアシュアリー派の「実質」論も、神の本体に実在レベルで夾雑物を外部から付加している点では変わらないといいます。ところが神の本体と諸属性は意識内のレベルですら同一であり、ましてや実在レベルでは完全に同一だと、彼は言います(と、ここで引用されているのが、何故かジュムフールではなく、ハイダル・アームリー[1385 年以降没]なのですが、著者によればジュムフールも彼と同意見なのだそうです)。
こうしてジュムフールはアヴィセンナ同様、神をいかなる多性からも自由な超越的一者として捉えます。しかしそれと同時に、彼は先にその存在を自ら否定していた「属性」を神に対して肯定しようともしています。これは端的に矛盾なのではないか。このような疑念に対して、ジュムフールは2 つの観点から否と答えます。まず彼はコーランという不可謬な啓示テクストを引合いに出します。彼によれば、そもそも神はコーラン中で複数の属性を通じて描写されている。そのためこれらは神の真なる本体に何らの多性をも付与しない(つまり神の絶対的一性と矛盾することのない)であると理解すべきだ。このような神名のことを彼は「完全性の神名(asmāʾu-hā [= aḏ-ḏāt al-ḥaqīqiyya] l-kamāliyya)」と呼びます(ここでは「神名」=「属性」か)。次に彼は神のもつさまざまな神名(おそらくここでも「属性」と同義)が、知性による考察と切っても切れない関係にあると指摘します。彼によれば、神に何らかの神名を付与するという行為自体がそもそも知性による考察・観察(al-iʿtibārāt wa-l-mulāḥaẓāt al-ʿaqliyya)を前提としている。さらにこの知性による考察・観察が成立する際には、必然的に複数の観察様式(ḥayṯiyyāt)および観点(ğihāt)も成立している。つまり神名ないし属性を肯定することで生じる多性は全てこの知性による観察様式ないし観点の多性に帰されることになる。これは裏を返せば、そうした考察・観察さえ止めれば多性は雲散霧消してしまうということである。他方で神の本体というのは、我々がそのような考察を止めようが止めまいが確固として存在している。従ってこうした知性による考察というのは最高次の神認識ではありえず、あくまでその上位には神の本体それ自体を考察するという至高の段階があるとせねばならない。こうしてジュムフールは啓示テクストの不可謬性と存在一性論の階層的神認識を根拠に、神の超越的一性の肯定(おおまかには哲学説)と属性の肯定(おおまかには神学説)を両立させようとしている、と言えるでしょう。
ここまで読んだかぎりでは、ジュムフールの属性論も常識的な存在一性論的属性論の枠内に収まるものだという印象を受けます。しかしそれよりも個人的に気になったのは、次の2 点です。
1) アブルフサイン・バスリーの属性論との親和性:彼の属性論がアシュアリー派の属性論と近しいものだと言いながら、同派の属性論は上で見たとおり、明らかに批判対象となっています。そのためおそらくバスリーの属性論に対しても、ジュムフールは完全な支持を表明しているわけではないでしょう。しかし少なくともファナーリーは折に触れてバスリーとアシュアリーを「神学者たちの2 人の師(šayḫay l-mutakallimīn)」と呼び、彼らの名前に肯定的に言及しています。バスリーとアシュアリーに対するこうした肯定的な言及が、後期思想史において広く一般に見てとれるたぐいのものなのか、それともある特定の思潮内でしか見てとれないものなのか、少し気になります。
2) 神学者の属性論を批判する際に、本体に対する属性の付加が批判されている点:本体に対する属性の付加は、ファフルッディーン・ラーズィー(1209 年没)が提唱した「本質(māhiyya)に対する存在(wuğūd)の付加」をめぐる議論とおそらく軌を一にしています。神学者の学説を批判する際にラーズィーのこの学説がどれほどのメルクマールたりえていたのかは未詳ですが、少なくとも今回読んだ箇所に関しては、著者はジュムフールの議論を(彼自身が言及しているかぎりでの)古典期神学者の学説と比較しているだけで、彼の直近のソースであったはずのポスト・アヴィセンナ期の神学者・哲学者の学説との比較は全くなされていないようです。すでにこの本が書かれてから10 年以上が経ち、ポスト・アヴィセンナ期の思想史研究も大幅に進みました。誰かに(もちろん著者自身でもよいのですが)このへん、もう一度じっくり調べなおしてほしいところです。
以前全体の序論にあたる部分(第1-2 章)を拾い読みしたSchmidtke のジュムフール本から、今度は属性論の箇所を読みました。ただし属性論に関しては、うれしいかな悲しいかな、長大な章がさかれているため(55-114)、今回はひとまず冒頭部の短い概説のみの拾い読みです。イブン=アビー=ジュムフール(1501 年以降に没)は15 世紀の12 イマーム・シーア派を代表する神学者で、哲学と神秘主義(存在一性論)からも強い影響を受けていた人物です。彼の属性論の根底にあるのは、存在一性論(waḥdat al-wuğūd)で(存在一性論における神の属性論に関しては、例えばこちらの記事を参照)、彼は同論の立場から先行するムウタズィラ派神学、アシュアリー派神学、そしてアヴィセンナ哲学における属性論を次々と批判していきます。
ムウタズィラ派神学(より具体的に言うと、アブー=ハーシム・ジュッバーイー[933 年没]学派)において、神の属性は「様態(aḥwāl)」とされます(様態に関してはこちらの記事を参照)。様態とはもともとはアラビア語文法学に由来する概念で、神が存在する際の副詞的なありかた、具体的には「生きる者(ḥayy)」「意志ある者(murīd)」「存在する者(mawğūd)」にとっての「生きる者性(ḥayyiyya)」「意志ある者性(murīdiyya)」「存在する者性(mawğūdiyya)」などを指すようです。それはあくまで「ありかた」であるため、神の本体ないし本質(ḏāt)と同一であるとも同一でないとも言えないし、永遠であるとも永遠でない(つまり有始的である)とも言えない、さらには存在者であるとも存在者でない(つまり非存在者である)とも言えない。ムウタズィラ派神学において属性は、このように完全に中間的な存在カテゴリーとして把握されることになります。他方アシュアリー派神学において、神の属性は「実質(maʿnā)」とされます。この語は中世アラビア語の思想タームのなかでもっとも翻訳の難しい語の1 つなのですが、基本的には上で触れた「生きる者」「意志ある者」「存在する者」といった神名をそれぞれ「生きる者」「意志ある者」「存在する者」たらしめている「生(ḥayāt)」や「意志(irāda)」「存在(wuğūd)」のようなもののことだとされています。最後にアヴィセンナ哲学においてですが、彼の哲学において神はいかなる属性ももたないとされます。何故なら神が複数の属性をもつなどと認めてしまったら、神の一性は(そしてひいてはその存在必然性も)確実に損なわれるからです。
ジュムフールの見解はこのうち哲学における属性論と近しいものです。彼はムウタズィラ派属性論とアシュアリー派属性論のいずれをも、神の本体に外部から夾雑物を付加する議論だと批判します(ただし同じムウタズィラ派でもアブルフサイン・バスリー[1044 年没]学派の学説は、アブー=ハーシム学派のそれとは異なり、むしろアシュアリー派の学説に近いらしく、ジュムフールはこれを一定の範囲内で支持しているとのこと[→ 一般にイスラム神学はムウタズィラ派 / アシュアリー派という紋切り型の分類に基づいて整理され、シーア派神学はこのうちムウタズィラ派神学の影響を強く受けていたと言われますが、このようなジュムフールの態度からも、旧態依然とした紋切り型の整理では厳密な思想史叙述にとって不十分ということがわかります])。彼によれば、ムウタズィラ派の「様態」論もアシュアリー派の「実質」論も、神の本体に実在レベルで夾雑物を外部から付加している点では変わらないといいます。ところが神の本体と諸属性は意識内のレベルですら同一であり、ましてや実在レベルでは完全に同一だと、彼は言います(と、ここで引用されているのが、何故かジュムフールではなく、ハイダル・アームリー[1385 年以降没]なのですが、著者によればジュムフールも彼と同意見なのだそうです)。
こうしてジュムフールはアヴィセンナ同様、神をいかなる多性からも自由な超越的一者として捉えます。しかしそれと同時に、彼は先にその存在を自ら否定していた「属性」を神に対して肯定しようともしています。これは端的に矛盾なのではないか。このような疑念に対して、ジュムフールは2 つの観点から否と答えます。まず彼はコーランという不可謬な啓示テクストを引合いに出します。彼によれば、そもそも神はコーラン中で複数の属性を通じて描写されている。そのためこれらは神の真なる本体に何らの多性をも付与しない(つまり神の絶対的一性と矛盾することのない)であると理解すべきだ。このような神名のことを彼は「完全性の神名(asmāʾu-hā [= aḏ-ḏāt al-ḥaqīqiyya] l-kamāliyya)」と呼びます(ここでは「神名」=「属性」か)。次に彼は神のもつさまざまな神名(おそらくここでも「属性」と同義)が、知性による考察と切っても切れない関係にあると指摘します。彼によれば、神に何らかの神名を付与するという行為自体がそもそも知性による考察・観察(al-iʿtibārāt wa-l-mulāḥaẓāt al-ʿaqliyya)を前提としている。さらにこの知性による考察・観察が成立する際には、必然的に複数の観察様式(ḥayṯiyyāt)および観点(ğihāt)も成立している。つまり神名ないし属性を肯定することで生じる多性は全てこの知性による観察様式ないし観点の多性に帰されることになる。これは裏を返せば、そうした考察・観察さえ止めれば多性は雲散霧消してしまうということである。他方で神の本体というのは、我々がそのような考察を止めようが止めまいが確固として存在している。従ってこうした知性による考察というのは最高次の神認識ではありえず、あくまでその上位には神の本体それ自体を考察するという至高の段階があるとせねばならない。こうしてジュムフールは啓示テクストの不可謬性と存在一性論の階層的神認識を根拠に、神の超越的一性の肯定(おおまかには哲学説)と属性の肯定(おおまかには神学説)を両立させようとしている、と言えるでしょう。
ここまで読んだかぎりでは、ジュムフールの属性論も常識的な存在一性論的属性論の枠内に収まるものだという印象を受けます。しかしそれよりも個人的に気になったのは、次の2 点です。
1) アブルフサイン・バスリーの属性論との親和性:彼の属性論がアシュアリー派の属性論と近しいものだと言いながら、同派の属性論は上で見たとおり、明らかに批判対象となっています。そのためおそらくバスリーの属性論に対しても、ジュムフールは完全な支持を表明しているわけではないでしょう。しかし少なくともファナーリーは折に触れてバスリーとアシュアリーを「神学者たちの2 人の師(šayḫay l-mutakallimīn)」と呼び、彼らの名前に肯定的に言及しています。バスリーとアシュアリーに対するこうした肯定的な言及が、後期思想史において広く一般に見てとれるたぐいのものなのか、それともある特定の思潮内でしか見てとれないものなのか、少し気になります。
2) 神学者の属性論を批判する際に、本体に対する属性の付加が批判されている点:本体に対する属性の付加は、ファフルッディーン・ラーズィー(1209 年没)が提唱した「本質(māhiyya)に対する存在(wuğūd)の付加」をめぐる議論とおそらく軌を一にしています。神学者の学説を批判する際にラーズィーのこの学説がどれほどのメルクマールたりえていたのかは未詳ですが、少なくとも今回読んだ箇所に関しては、著者はジュムフールの議論を(彼自身が言及しているかぎりでの)古典期神学者の学説と比較しているだけで、彼の直近のソースであったはずのポスト・アヴィセンナ期の神学者・哲学者の学説との比較は全くなされていないようです。すでにこの本が書かれてから10 年以上が経ち、ポスト・アヴィセンナ期の思想史研究も大幅に進みました。誰かに(もちろん著者自身でもよいのですが)このへん、もう一度じっくり調べなおしてほしいところです。
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