1) 存在種説への批判をかわす際に、ファナーリーは〈関係〉概念に依拠する。そのため〈関係〉論論文(2009年)を部分的に援用することで、少し内容を膨らませる。
2) 前半で〈関係〉論論文を援用してタフターザーニーの批判とそれに対するファナーリーの回答をある程度詳しく取り上げ、その後、後半に1の議論をもってくることにより、〈関係〉論論文の改訂版としてまとめなおす。
現在は1の方向で進めようと考えているのですが、やはり実力を顧みるならば、改訂版などという大志を抱くべきではないのかもしれません。いずれにしても序論をもっと詳しく書きなおす必要があり、さらにかなり重たい注がいくつかあるので、それらを本文中に組み込むか補遺として後ろに回すかしたいと考えています。また注の中に日本語文献がわりと含まれているのも気になっています。イスラム哲学関係であれば、多少とも把握できていると思いますが、古代・中世哲学になってくると、果たしてここで引くべきは本当にこの研究なのかというか、これは信頼できる研究なのかとか、この研究が提示している議論は研究史的に見て古いものではないのかとか、そういう部分が全くわからなくなってしまいます。この辺は素養がないため、いかんともしがたいのですが、やはりプロに教えを乞うほかないでしょう。
またこれと並行して、ファナーリーの学問論に関して調べてみたりもしています。ファナーリーは『親密の灯』冒頭部で、イブン=スィーナーの『指示と勧告の書』に大幅に依拠しながら、存在一性論を実相学 / 真理探究の学('ilm al-haqa'iq / 'ilm al-tahqiq)という1つの学知として確立しようとしています。指導教員が調べた限りでは、ファナーリーの議論はほとんどイブン=スィーナーからの引き写しであり、とてもオリジナルなものとは思えないそうですが、私見では彼の議論が学問論的に新しいかどうかという点はさほど重要ではありません(但し実際には、彼は逍遥学派的学問論を部分的にせよ批判しています)。重要なのはむしろ、彼が既存の学問論の枠組みを援用することで何を狙っていたのか、という点ではないでしょうか。現状では確たることは言えませんが、夏休み中には多少なりとも見通しを得られるよう努めます。
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