Freitag, 15. April 2011

ファナーリーの形象論18

形象論としては、はや2ヶ月ぶりのエントリーになってしまいました。不安な点を挙げればキリがないのですが、目下は注の整備というツメの作業を行っています。以下、現在明らかになっている限りでの主なタスクリストです。

1) 西洋中世哲学における可知的形象論について簡単に言及するために、稲垣良典『抽象と直観:中世後期認識理論の研究』(創文社、1990年)と、L. Spruit, Species intelligibilis: From Perception to Knowledge, vol. 1: Classical Roots and Medieval Discussions (Leiden: Brill, 1994) を拾い読み。具体的には、稲垣「第4章:認識におけるスペキエスに役割について」(103-25頁)、「第5章:観念、スペキエス、ハビトゥス」(127-51)、「第6章:抽象と直観」(153-77)、「第8章:学知の対象について」(199-230);Spruit, "Introduction" (pp. 1-27), "I.3. Intention and Abstraction in Arabic Philosophy" (pp. 79-95), "II.3. Thomas Aquinas: The Intelligible Species as Formal Principle of Intellectual Knowledge" (pp. 156-74) あたりに目を通す必要がありそうで、現状では半分強ほど読み終えはしましたが、やはりわからないことが多いです。内容をしっかり理解するためにも、特にSpruitの本は作業が一段落したら頭から丁寧に読もうと思います。

2) カーシャーニー『叡智の台座注釈Sharh Fusus al-hikam』の執筆年代の調査。いま書いている論文では、『プラトン的知性的形象al-Muthul al-'aqliyah al-Aflatuniyah』をファナーリーのソースとしては扱わず、あくまでソースの可能性が高い、ファナーリー(1431年没)の直前期から同時代の形象論を反映した著作として扱おうと考えています。しかしこの著作、成立年代が若干あいまいです。具体的に言うと、現存する写本の奥付と同書第3章第2探求中でカーシャーニー(1330年没)の『叡智の台座注釈』が名指しで批判されている(Muthul, ed. Badawi, pp. 133-4)という2点を根拠に、成立年代は少なくとも13世紀後半から15世紀初頭にまでは絞られるのですが、これをファナーリーの直前期と言うためには、できれば14世紀初頭以降くらいまで絞れるとうれしい。これはひとえにカーシャーニーの『叡智の台座注釈』の執筆年代如何に関わっているわけですが、しかしながらこれがいまひとつよくわからない。私が所有している版('Abd al-Razzaq al-Kashani, Sharh Fusus al-hikam, ed. M. Hadizadah (Tihran: Anjuman-i Athar wa-Mafakhir-i Farhangi, 1383 [2004]) の校訂者M. Hadizadahによる序文(p. 48)を見ると、執筆年代についてはまさに同書中でカーシャーニー自身が明言しているとのこと。参照箇所を確認してみると確かに、カーシャーニーが「我々のこの時代、即ちヒジュラから730年」(zamani-na wa-huwa min al-hijrah sab'mi'ah wa-thalathun)と言っています。但し周辺のアラビア語の意味がまだとれていないし、そもそもヒジュラ歴730年(=西暦1329/30年)はほとんどカーシャーニーの没年と重なるというのもあり、現時点でここを引用するのには尻込みしています。もう少し事実関係を確認する必要があります。

3) また実際にカーシャーニーの『叡智の台座注釈』から『プラトン的知性的形象』中で引用されている箇所を同定する必要があります。これは現在手元にある版に術語インデクスがないため、手作業になります(或いはインデクス付きの版をもっている方の助けを乞うべきか)。

4) ファナーリーにおける「知性的形象」(al-muthul al-'aqliyah)と「プラトン的形象」(al-muthul al-Aflatuniyah)の関係についての注整備。『プラトン的知性的形象』の著者はこれら2つの形象をどうやら同義で用いているようですが、ファナーリーの議論を読んでいると、彼が両者を区別していたように見受けられる記述に出くわします(例えばファナーリーの形象論17参照)。この点については、今回の論文では扱いきれなさそうなので、それを断っておくための注を書く必要があります。

5) ファナーリーの採る形象論が『プラトン的知性的形象』第1章第2探求で紹介されている学説1の形象論(=「形象は数学的なものどもと自然学的なものどもの内に存する」)と対応するということをテクストレベルで示すため(本文中では字数の都合上、対応箇所を全て取り上げることはできないので)、注で言及する。

6) 「述語付けが正しく成立するためには、主語と述語が概念レベルでは異なっているが、存在レベルでは統一されてある」という考え方の典拠を示す。現在はタフターザーニーの『神学の目的注釈Sharh al-Maqasid』とモッラー・サドラーの『存在認識の道al-Masha'ir』に対する井筒の解説しか典拠として挙げていませんが、もう少し広い視野から典拠を示したいので、M. Maróth, Ibn Sina und die peripatische “Aussagenlogik” (Leiden: Brill, 1989); A. Bäck, Aristotle's Theory of Predication (Leiden: Brill, 2000); C. Schöck, Koranexegese, Grammatik und Logik: Zum Verhältnis von arabischer und aristotelischer Urteils-, Konsequenz- und Schlußlehre (Leiden: Brill, 2006) なども見てみます。

2 Kommentare:

  1. こんにちは。ご無沙汰しています。

    もうご覧になった後かも知れませんが、同じくHadizadah校訂のカーシャーニー著作集Majmu'ah-i rasa'il va musannafat, Chap-i 2(Tihan: Miras-i Maktub, 1380)pp. 123-126. に、カーシャーニーの没年に関する議論があります。

    かいつまんで述べますと、カーシャーニーの没年には、(1)730年説(Kashf al-zununが典拠)、(2)735年説(Rawzat al-jannatが典拠)、(3)736年ムハッラム3日説(Fasih Ahmad Khwafi のMujmal Fasihiが典拠)、(4)887年説(これもKashf al-zununより)の四つがあり、Hadizadahは、Kashf al-zununはカーシャーニーとKamal al-Din Abd al-Razzaq Samarqandiを混同しているなどの理由で、信用できないとしています。

    Fasihが信頼されている理由は、彼がカーシャーニーと近い時代の人間(カーシャーニーの没後41年後に生まれた)ということみたいですが、これが正しい推論かどうかは別問題として(笑)、Hadizadahにとっては、それでSharh Fusus執筆年との整合性がとれているということでしょう。

    もう知ってたらごめんなさい。長文失礼しました。

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  2. なるほど、勉強になりました。ありがとうございます

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