3 か月ほど前にファナーリーの形象論4 で触れた『プラトン的知性的諸形象』Al-Muthul al-'aqliyah al-Aflatuniyah(著者不詳)というテクスト。これがファナーリーの議論のソースの一つであることは、そのときから既にわかってはいました。が、この一週間、改めて同書の影響力の強さを痛感しています。
N. Heer が1970 年にAmerican Oriental Society で行った発表によれば、ファナーリーが『親密の灯』(Khwajawi 版pp. 430-3)で展開している絶対存在と神をめぐる議論は、Al-Muthul al-'aqliyah al-Aflatuniyah, ed. 'A. Badawi (Cairo: Matba'at Dar al-Kutub al-Misriyah, 1947; repr. Kuwait: Wikalat al-Matbu'at, [?]), pp. 119-45 からの引用です。大体2 日ほどかけて、両者の議論を比べてみましたが、なるほどたしかにファナーリーはかなり同書によっているようです。
しかしそれでは、他の箇所での議論はどうか、という疑問が出てきます。腰を据えての比較はまだですが、もしかすると『親密の灯』pp. 420-30(プラトン的知性的諸形象を定立することで、絶対存在の外界における存在を証明しようとしている箇所)の議論も、かなり同書からの影響を受け たもの(或いは引用を含んだもの)なのではないか、と感じはじめています。問題はファナーリーがそこでの議論をまるっきり受け入れて引用しているのか、それとも多少なりとも批判しつつ引用しているのか、という点です(校訂者Badawi によれば、同書からは存在一性論と照明哲学、特に後者からの強い影響が見て取れるそうですが、この著者はいずれの学派にも与することなく、それらを適宜批判しつつ、議論を展開し ているのだとか)。本文140 ページを全て翻訳するのは躊躇しますが、少なくとも全てに目を通す必要はありそうです。
照明哲学における形象論に関しては、Badawi の『プラトン的知性的諸形象』での序文が比較的有用な気がしますが、H. Daiber, Bibliography of Islamic Philosophy などでざっと調べてみると、以下のようなものもあるようです(1 はすぐ入手することは難しそう)。
1. Abu Rayyan [Abou Rayan], M. 'A., ''Essai d'un platonisme musulman ou 'transmission de la theorie des idees platoniciennes dans l'ecole de l'Išraq: Chez Suhrawardi Maqtul''' (PhD diss., Universite de Paris, 1956).
2. Landolt, H., ''Les idees platoniciennes et le monde de l'image dans la pensee du Šaykh al-išraq Yahya al-Suhrawardi (ca. 1155-1191)'', in D. De Smet & M. Sebti (eds.), Miroir et savoir: La transmission d'un theme platonicien des Alexandrins a la philosophie arabo-musulmane (Leuven: Leuven University Press, 2008), pp. 233-50.
3. Anawati, G. C., ''La notion de wujud dans le Kitab al-Mashari' wa-l-Mutarahat de Suhrawardi'', in I. Madkur (ed.), Al-Kitab al-tidhkari Shaykh al-Ishraq Shihab al-Din al-Suhrawardi: Fi al-dhikra al-mi'awiyah al-thaminah li-wafati-hi, 587 H.-1190 M. (Cairo: Jumhuriyat Misr al-'Arabiyah, Wizarat al-Thaqafah, 1974), pp. 132-50.
3 については形象論に関する論文ではないようですが、少し気になるので、この後、東洋文庫に行ってコピーを取り、ざっと目を通し、しかる後に『プラトン的知性的諸形象』の読解にあたります。
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