やはり学問論と学問分類は全く別の問題ではないにせよ、少しずれるような気がすると思いなお し、朝からアリストテレス『分析論後書』などを見ています。ファナーリーの学問論の中には、思弁の徒(ahl al-nazar)の議論に対する批判が若干見られます。この「思弁の徒」というフレーズは、ファナーリーの著作(少なくとも『親密の灯』)中にはよく出てくるのですが、これが具体的にどういうグループを指しているのか、いつもよくわかりません。
ただ一つ言えるのは、ここで(あくまで、ここで)ファナーリーが批判している説はどうやらアリストテレスの議論と一致するようだ、ということです。となると、まずはイブ ン=スィーナーがどう言っているかを確認する必要があるわけですが、I. Madkour, L'Organon d'Aristote dans le monde arabe (Paris: Vrin, 1969) 曰くイブン=スィーナーは『分析論後書』が対象とする領域にあまり力を入れておらず、殆どアリストテレスの説に盲従しているとのこと(p. 222)。
Madkour の議論を否定する論拠を私は持ち合わせていませんが、管見の限りでは後書の受容については、Maroth, M., Die Araber und die antike Wissenschaftstheorie (Leiden: Brill, 1994), pp. 73-128 という、より詳しい研究があります。ドイツ語50 ページ強はなかなかしんどいですが、あの『治癒の書』「分析論後書」(Burhan)を読むよりはだいぶマシですね。とにかく今日は力尽きるまでこれに向き合うこととします。問題は、この『親密の灯』中での学問論の改変(とまで言える代物なのかはもう少し読み込んでみないとわかりませんが)が、形象論に関わってくるかどうか、なのですが…。
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