Donnerstag, 2. Mai 2019

三浦「アラビア数学における幾何学的発想の起源と展開」

三浦伸夫(2006):「アラビア数学における幾何学的発想の起源と展開:クーヒーの幾何学的著作から」『国際文化学:神戸大学国際文化学部紀要』25, 65-106.[ここから入手可]

「代数学」を意味する algebra がアラビア語の al-ğabr に由来することからも、アラビア数学は一般に代数学の発展と結びつけて理解されることが多い。しかしそれだけがアラビア数学の全てでは、もちろんない。数論・三角法・組み合わせ法等の様々な分野でも、アラビア数学は目覚しい展開を遂げていた。なかでも、注目すべきは幾何学。これはアラビア数学発展の契機がそもそもギリシア数学の翻訳・導入にあり、かつそのギリシア数学が幾何学によって特徴づけられるものだった、という点からも自明のこと。数学者・天文学者・詩人として有名なウマル・ハイヤーム(1131 年没)が三次方程式を解く際に幾何学的解法(円錐曲線の交点上に解を見出す方法)を確立したことはよく知られているが、このような解法の確立には、その準備として幾何学そのものの成熟がとりもなおさず必要だった。この点に、疑いはない。

以上のような観点から、本論文では、アラビア数学史の初期を代表する数学者アブー=サフル・クーヒー(10 世紀後半にブワイフ朝宮廷で活動) の数学諸著を取り上げ、アラビア数学における幾何学的発想の起源と展開が検討されます。彼は他ならぬハイヤームによって「イラクでもっとも偉大な幾何学者の一人」として数えられるほどの人物であり、ビールーニー(1048 年没)やイブン=ハイサム(1040 年没)によってもその名が言及されているそうです。ちなみに「クーヒー」(Kūhī)とはペルシア語の「山」(kūh)から来たニスバで、カスピ海東部のタバレスターン出身であることを示すとのこと。とはいっても、細かい数学(史)的諸議論は、私には適切にまとめることができそうにありません。著者の説明をただ引き写すだけなら、上のリンク先からめいめいにその実際の内容を確認してもらったほうがはるかに有益と考え、以下では個人的に興味を惹かれたアリストテレス運動論に対するクーヒーの批判についてのみまとめておきます(86-88頁)。 

アリストテレスは「有限の時間において無限な大きさを通過することもできない」 (『自然学』238a20)とする。当時、このアリストテレスの主張を批判する者はあまりいなかったが、クーヒーはこれに公然と異を唱えた。彼は小品『限定された時間に無限の運動が存在するという事について』の中で、以下のような議論を行っている: 

直径 AC の上に中心を点 D とする半円 ABC を考える。直径上に垂直に置かれた物体を想定し、それを DE とし、半円 ABC 上を A から出発して動く発光体を考えよう。その光線は点 e にある物体の頂点に落ちる。物体の頂点の影の運動は限定された時間の中での発光体の運動に関係し、始点も終点もない、と私は言う。実際、もし我々が、点 H が物体の頂点の運動の始点であると仮定するならば、そしてもしそれを物体の頂点と、我々が延長する直線たとえば直線 GEH によって結ぶならば、その直線は半円 ABC からある弧(AG とする)を切り取るであろう。もし我々がこの弧を点 I で二つの部分に分けるならば、そしてこの点から物体の頂点まで直線たとえば IEK を引くならば、それは始点に先行し K である点に落ちるであろう。しかしこれは不可能である。同様に、他の部分でも、物体の頂点の影の運動は始点も終点も持たないことを我々は示すであろう。このことが証明すべきことであった。この小編が完成できたのはただ神のみのおかげである。 


(87 頁より転載)

ここでは発光体が G から始まり I に進むと、DE の頂点 E は HK を描く。発光体が G から A に進むのは有限時間であるが、射影は K から無限遠点に進むことになる。これは実際ありうることである。だから、アリストテレスの先の主張は明らかに誤っている、というのがここでのクーヒーの議論の主旨だそうです。 著者によれば、ここで着目すべきは次の 2 点(88頁)。(1)クーヒーは暗黙裡にアリストテレスの可能無限の立場を批判し、実無限の立場を主張している。(2)アリストテレス以来、異種学問における対象と論証法の相互適用は原則として禁じられており、中世スコラではそのタブーが破られ、多様な展開を見せる(らしい)が、このクーヒーの議論(自然学を幾何学[数学]の方法を用いて論じる)から見るに、すでにアラビアではその禁則が解き放たれていたものと考えられる。

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