Mittwoch, 10. April 2019

プリンチーペ『錬金術の秘密』第 1 章(ギリシア・エジプトの「ケメイア」)

プリンチーペ、ローレンス・M. (ヒロ・ヒライ訳[2018]):『錬金術の秘密:再現実験と歴史学から解きあかされる「高貴なる技」』勁草書房、9-33.

昨夏に出版されるや、日本の人文学とその周辺の話題を見事にかっさらった、いわずもがなの名著。2013 年に The Secrets of Alchemy というタイトル(副題なし)のもと英語で出版された原著が、西欧科学史研究を世界的に牽引するヒロ・ヒライ自らによって訳出され、解説付きで出版されたという時点で、日本語母語話者にとっては福音というほかありません。先日の博論口答試験を機に、この名著に一部目を通したため、今回はひとまず第 1 章のみ内容をまとめておきます(テュービンゲンでは、口答試験は defensio[博論本体のディフェンス]と disputatio[特定テーマを中心とした自由討論]からなり、後者のテーマとしてアラビア錬金術・魔術、とりわけジャービル文書を選択したため)。なお、本書のもっとも大きな特徴のひとつは、副題にあるとおり、錬金術史を一方で歴史学的文献学的手法で取り扱いながら、他方で錬金術たちの残した金属ないし物質変成のプロセスに関する記述を、著者自身(科学史への転向以前に、化学の分野で PhD を取得)が再現実験を通して検証している点にあります。しかしこのあたりの話は、化学音痴の私には全くついていけない領域であるため、以下では残念ながら、歴史学的な叙述の部分にしか焦点を当てていません。

錬金術の歴史を語る上でまず目を遣らなければならないのは、紀元前 6-5 世紀のギリシア語文化圏である。当時この地には、全宇宙の根源となる原理に思いをなす人々が存在した。いわゆる「ソクラテス以前の哲学者たち」である。彼らはめいめいにこの不変の原理を探究し、万物はこれが多様に変化したものにすぎないと主張した。タレース(前 6 世紀)においては水が、レウキッポス(前 5 世紀)とデモクリトス(前 5 世紀)においては原子が、この原理と同定される。そしてエンペドクレス(前 435 年没)に至ると、それは火・空気・水・土の四元素と見なされるようになり、これを受け継ぐかたちでアリストテレス(前 322 年没)が有名な四元素理論を発展させる。錬金術は、こうした古代ギリシアに淵源する自然哲学理論が金属加工技術と融合することで誕生したのだ、とプリンチーペは語る。

舞台となるのは、ヘレニズムからローマ時代のエジプト。紀元前 3 世紀頃、アレクサンドリアの職人たちのあいだで金属加工技術、冶金術が洗練されていく。

* この時代の冶金術の発展状況を示す史料は、紀元後 2-8 世紀に成立した金属加工の断片的レシピのみ。具体的には、冶金に関する 20 数種の書物からの抜粋である最古のものは「デモクリトス」という名の著者による『自然なものと隠されたもの』という 1 世紀後半から 2 世紀にかけて成立した著作の断片)。しかしこれらは Corpus alchemicum graecum (『ギリシア錬金術文書』)という、紀元後 11 世紀のビザンツでまとめられた文書群に収録された状態でしか伝存しておらず、しかもそこには写字生による意図的な取捨選択・改竄等も多く紛れ込んでいる。そのため、紀元前 3 世紀当時の冶金術の精確な実像は解明困難だという(12-14)。

目的は安価な卑金属を高価な金属に似せるというすぐれて商業的なもので、こうした状況は、紀元後の 1-2 世紀頃までつづいていく。しかしながら、おそらく 3 世紀のいずれかの時点で、上述の融合がどうやら発生した。それを証言づける唯一の史料がパノポリス(現在の上エジプトにあるアフミーム[Aḫmīm]に相当)の錬金術師ゾシモス(300 年頃活躍)が残した文書群である。彼は生前 8 点の著作をものしたとされるが、現存するのは『硫黄について』、『オメガの書』(『器具と炉について』序論部)、他著作の序論部、そして「あちこち〔ゾシモス自身の諸著作を指す?〕に記録された抜粋群」のみという状況らしい(17-18; 23, Anm. 21)。ところがギリシア語著作のアラビア語訳(ここには多くの擬ゾシモス文献が含まれるものの、真作も含まれているもよう)というかたちで伝存する書簡群もあるらしく(21, Anm. 17)、著者の論述からだけでは、ゾシモス著作群の全体像はよくわからない。いずれにしても、錬金術史叙述という観点から意識しなければならないのは、彼が史上最初の錬金術師だったわけではないということ。何故なら彼はその著作中で彼以前 / 同時代に活動した錬金術師たちへの批判を行っているから。

ゾシモスにおいては、もはや金属の見た目をのみを変えるという商業的冶金術は影をひそめる。彼の主眼は、あくまで実際に卑金属から貴金属を錬成させることにある。注目すべきは、それが一方で整合的な知的体系を志向する理論主義的なものであり、かつ他方で錬金器具の整備にも心を砕く実験主義的なものだった、という点である(18-19)。彼によれば、あらゆる金属は「身体」(σῶμα)と「精気」(πνεῦμα)という 2 つの部分からなっている。前者は非揮発性で、諸金属が共有する共通の基盤、つまり基体をなす。後者は揮発性で、それぞれの金属が有する諸性質(色彩など)をなす。彼の金属変成理論の根底に横たわるアイディアは、すなわち、揮発的・可変的である精気の部分を操作することで、金に固有の精気を再現し、人工的に金を生み出そうとするものである(19)。そしてそのための実験器具を、彼は当時のエジプトで用いられていた料理道具や、香料製造のような諸工芸で用いられる器材を改良して、使用していた。ただし器具の発明者は、どうやらゾシモス自身ではなく、「ユダヤ人マリア」と呼ばれる女性だったという(彼は著作中で彼女の名を権威としてしばしば挙げる)。

ちなみに指示内容としては異なるものの、ジャービル文書に現れ、その後の錬金術書でも頻繁に繰り返されることになる「水銀」と「硫黄」への執着も、すでにゾシモスにおいて見てとれる(20-21)。くわえて興味深いのが、ゾシモスの秘密主義(寓意と象徴を多様した論述スタイルで、神話化の傾向をもつ当時のグノーシス主義からの影響が推察される)を、ディオクレティアヌス帝(244-311 年在位)の通貨改革、およびエジプトの錬金術弾圧へと関連づける指摘である。帝政期以後、過度の採掘が原因となり、ローマは次第に十分な銀の採掘量を得られなくなっていく、そしてそこでの通貨改革(通貨中の銀の含有量を減少させる)の失敗がさらなる経済の危機を招く、とは古代史に暗い私でも聞きかじったことのある話だが、このとき錬金術弾圧、つまり金と銀の「ケメイア」に関する書物の焚書もなされていた(らしい)ということは、寡聞にして知らなかった。しかし考えてみれば、当然。貴金属を自在に練成されてしまったら、通貨の価値が不安定になるのだ。プリンチーペによれば、ゾシモスはまちがいなく、これら一連の事情を見聞きしており、これもまた彼が秘密主義的なスタイルを採用した理由のひとつかもしれないと推測している。

* 個人的に興味深いのは、彼が金属変成のことを、変成時の色合いの変化に着目して、「染色」(βαφή)と呼ぶ点です(20)。というのも、これとよく似た用語法が存在一性論系諸著でも頻出するから。具体的にいうと、同論では諸神名が互いに作用しあうこと(ここから新たな神名が生まれる)を、しばしば「染色」(inṣibāġ)という語で表現します。P. Kraus の古典的ジャービル研究第 2 巻(Jābir ibn ḤayyānContribution à l’histoire des idées scientifiques dans l’islam. Le Caire: Imprimerie de l’institut français d’archéologie orientale 1942 [repr.: Hildesheim: Olms 1989])によると、ジャービル文書でも物質変成理論において同語根の「染料」(ṣibġ)という語が用いられるそうですが、ここで意味されるのは四元素のうちの火のことらしく(5, 11)、実際に存在一性論の用語法が錬金術の伝統から影響を受けて成立したのかどうかは、完全に不明です。もしそうだとしたら、とてもワクワクする展開ですが。

ゾシモス以後、8 世紀までの錬金術史の詳細は、史料的制約から解明が困難である。数少ない例外として、オリュンピオドロス(6 世紀;有名なアリストテレス注釈者と同一の可能性有)によるゾシモス注釈(散逸)と、ステファノス(7 世紀;新プラトン主義の哲学者・注釈者・天文学者)の『金をつくるための大いなる技について』(617 年に成立)の 2 点は挙げられる。注目されるのは、彼らがいずれも、ゾシモスとは異なり、実際の錬金作業には関心を払っていないということ。彼らが重きを置いたのは、むしろ物質をめぐるタレース以来の古代ギリシア的思惟を錬金術に再応用して、理論的な枠組みを洗練させることだった。そしてこのように理論的に洗練された錬金術が、後のアラビアでは受容・発展されていくことになる(30)。

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