Sonntag, 23. September 2012

オスマン朝期の神学:人名・研究リスト

前回のポストで触れた論集のなかから、オスマン朝期の神学と論理学の伝統について取りあげた第 2 章(竹下政孝「神学・論理学研究:オスマン朝における神学と論理学」東長靖[編]『オスマン朝思想文化研究:思想家と著作』京都大学イスラーム地域研究センター[KIAS],2012, 79-94)に目を通しました。本章は基本的には代表的な神学者・論理学者と先行研究を紹介するという意図のもとに書かれています。このうち論理学に関しては、先日触れた Rouayheb の研究などのように、すでに欧米でもちらほら研究がなされるようになってきましたが、その一方で神学研究はというと、もっぱらトルコ人研究者がトルコ語で行っているということも手伝って、なかなか現状が把握しにくくなっています。そこでここでは特に神学者の人名と先行研究を自分用にリスト化しておきます

[I. 人名リスト]
 i. 15 世紀
1) イブン=フマーム(İbn al-Humâm [Ibn al-Humām], 1456 年没)
スィヴァス生まれ。メフメト 2 世期に活躍したが、教育を受け、活躍し、そして没したのはエジプト;神学上の主著としてはガザーリーの ar-Risāla al-qudsiyya の説明を行ったとされる al-Musāyara fī l-ʿaqāʾid al-munğiʾa fī l-āḫira がある。
2) フズル・ベイ(Hızır Bey [Ḫiḍr Beg], 1459 年没)
メフメト 2 世期に活躍した最も有名な学者;ブルサとエディルネのマドラサで教え、イスタンブルの法官職にも就いた。マートゥリーディー派神学の教義を 105 行の短い詩のかたちにまとめた al-Qaṣīda an-nūniyya が有名。
3) ハヤーリー・アフメト・エフェンディー(Hayâlî Ahmed Efendi [Šamsaddīn al-Ḫayālī], 1470 年没?)
フズル・ベイの弟子で、ブルサのマドラサで教えた。神学だけでなく、法学・コーラン注釈などの諸分野で著作を残している。トルコ語・アラビア語・ペルシア語の 3 言語で詩作した。Ḥāšiya ʿalā šarḥ al-ʿaqāʾid (ナサフィーの ʿAqāʾid に対するタフターザーニーによる注釈への傍注)と Šarḥ al-Qaṣīda an-nūniyya(フズル・ベイの al-Qaṣīda an-nūniyya への注釈)が有名。
4) ホジャザーデ(Hojazâde Muslihuddin Efendi [Ḫuğazāda Muṣliḥaddīn Muṣṭafā], 1488 年没?)
フズル・ベイの弟子でメフメト 2 世に進講。メフメト 2 世の命でガザーリーの Tahāfut al-falāsifa に倣って哲学者を反駁する著作を記し、アラーウッディーン・トゥースィー(1482 年没) とどちらの反駁がより優れているか対決した(勝ったのはホジャザーデ)。彼の Tahāfut al-falāsifa に対しては、Ḥakīm Šāh al-Qazwīnī とケマル・パシャザーデによる傍注が存在する。
5) モッラー・ルトフィー(Lütfî [Sarı] Molla [Mullā Luṭfī], 1494 年没)
フズル・ベイの息子 Sinan Paşa の弟子。バヤズィト 2 世から厚遇されたが、これが原因となって仲間の学者らから妬みを買い、無神論者であるとして処刑。神学以外にも数学や天文学に関する著作も残している。代表作としては、さまざまな学問分野の概要を説明した百科事典的著作 al-Maṭālib al-ilāhiyya fī mawḍūʿāt al-ʿulūm がある。前述のハヤーリー・アフメト・エフェンディー同様、タフターザーニーの Šarḥ al-ʿaqāʾid an-Nasafiyya に傍注を付している。

ii. 16 世紀
1) ケマル・パシャザーデ(Kemâl Paşazâde [Ibn Kamāl Bāšā], 1534 年没)
スレイマン 1 世期を代表する大学者。宗教諸学のみならず、歴史や文学に関する著作も残している。
2) タシュキェプリュザーデ(Taşköprüzâde Ahmed Efendi [Ṭāškubrīzāda Aḥmad b. Muṣliḥ], 1561 年没)
オスマン朝期の学者列伝 aš-Šaqāʾiq an-nuʿmāniyya fī ʿulamāʾ ad-dawla al-ʿuṯmāniyya と百科事典 Kitāb miftāḥ as-saʿāda al-siyāda fī mawḍūʿāt al-ʿulūm が有名だが、al-Maʿālim fī ʿilm al-kalām のような神学書も残している。
3) ネヴイー(Nevʿî [Nawʿī], 1599年没)
神学・法学・論理学・神秘主義・コーラン注釈などの諸分野で30を超える著作を残した(なかでも重要なのは、百科事典 Natāʾiğ al-funūn wa-maḥāsin al-mutūn)。

iii. 17 世紀
1) アリー・カーリー(Ali el-Kârî [ʿAlī Qārī], 1605 年没)
ハナフィー派法学者。イブン=マーリクやシャーフィイーに対しては批判的だったが、イブン=タイミーヤやイブン=カイイムといったハンバル派法学者には好意的だった。神秘主義に批判的で、特にイブン=アラビーに対しては異端を宣告した。ハディース学・コーラン読誦学などの諸分野で 180 近い著作を残している。神学上の著作で最も重要なのは、Minaḥ ar-rawḍ al-aẓhar fī šarḥ al-fiqh al-akbar (信仰箇条に関するアブー=ハニーファの著作 Fiqh akbar への注釈書)。
2) アクヒサーリー(Ḥasan Kāfī al-Āqḥiṣārī, 1616 年没)
オスマン朝初の改革論者として有名(Uṣūl al-ḥikam fī niẓām al-ʿālim で同朝軍隊弱体化の原因を探る)。文法学・論理学など多方面で業績を残しているが、神学著作として最も重要なのは Nūr al-yaqīn fī uṣūl ad-dīn fī šarḥ ʿaqāʾid aṭ-Ṭaḥāwī (タハーウィー[933 年没]の ʿAqāʾid に対する注釈)
3) レカーニー(İbrâhim b. İbrâhim Lekânî [Ibrāhīm b. Ibrāhīm al-Laqānī], 1631/2 年没)
マーリク派法学者で、神秘主義に関する著作も残している。Ğawharat at-tawḥīd という 144 行からなる詩のかたちで書かれた神学綱要書で有名(同書はシリアやエジプトのマドラサで教科書として使用され、自身を含むさまざまな人物がこれに注釈を付している)
4) ベヤズィト・アフメト・エフェンディー(Beyâzîzâde Ahmed Efendi, 1687 年没)
神学上の業績としては、al-Uṣul al-munīfa li-l-Imām Abī Ḥanīfa(アブー=ハニーファに帰されているさまざまな信仰箇条書から神学上の問題を抽出・編集したもの)と Išārāt al-marām min ʿibārāt al-Imāmal-Uṣūl al-munīfa に対して自ら付した注釈)がある。

iv. 18 世紀
1) アブデュルバキー・アーリフ・エフェンディー(Abdülbaki Arif Efendi, 1713 年没)
トルコ語・ペルシア語・アラビア語で宗教諸学の分野において数々の著作を残す。トルコ語で書かれた最初の神学書 Manāhiğ al-uṣūl ad-dīniyya で有名。
2) イスビリー・カーディーザーデ(Isbirī Qāḍīzāda, 1717 年以降没)
伝記的事項は全く不明。『マートゥリーディー学派が他の諸学派から区別されるべき諸点』と Risāla fī-mā yataʿallaqu bi-waʿd Allāh wa-waʿīdi-hi の著者。
3) アブドゥルガニー・ナーブルスィー(ʿAbdalġanī an-Nābulsī,  1731 年没)
法学・ハディース学・コーラン朗誦学などの分野で多くの著作を残しているが、存在一性論の立場に立つ神秘家でもあった。『自由な選択の創造に関するアシュアリー派とマートゥリーディー派の一致についての勝利の実現』で、人間の自由意思の問題に関してアシュアリー派とマートゥリーディー派が見解を同じくしていることを示した。
4) メストゥジーザーデ・アブドゥッラー・エフェンディー(Mestcizade Abdullah Efendi [ʿAbdallāh b. ʿUṯmān b. Mūsā Afandī], 1735 年没)
コーラン注釈・神学の分野で著作を残す。神学上の著作としては、『世界の永遠性反駁』『ジュルジャーニーとタフターザーニーの相違』『哲学者と神学者、ムウタズィラ派とアシュアリー派、アシュアリー派とマートゥリーディー派の相違』がある。
5) ダーヴード・カルスィー(Davud-ı Karsî [Dāwūd Karsī], 1756 年没)
多方面で数多くの著作を残した大学者。
6) エブー・アズベ(Ebu Azbe [Abū ʿUḏba], 1759 年以降没)
伝記的事項はほとんど不詳だが、著書 ar-Rawḍa al-bahiyya fī-mā bayna l-Ašāʿira wa-l-Māturīdiyya は有名。
7) アクキルマーニー・メフメト・エフェンディー(Akkirmani Mehmed Efendi, 1760 年没)
エジプトとメッカで法官職を務めた。Iklīl at-tarāğim(マイブディー[1504/5 年没]によるアブハリーの Hidāyat al-ḥikma に対する注釈のトルコ語訳)や、Afʿāl al-ʿibād  wa-l-irādāt al-ğuzʾiyya(人間の行為と自由意思の関係について論じた著作)、Risāla fī bayān al-firaq ad-dālla(異端的諸学派論駁の書)などを残す。
8) ゲレンベヴィー・イスマイル・エフェンディー(Gelenbevî İsmail Efendi, 1791 年没)
数学・天文学・数理地理学に造詣が深く、アブデュルハミト 1 世期にはオスマン朝改革運動の一環として設立された王立海軍工学院(Mühandishâne-i Bahrî-i Hümâyun)で数学教授の任にあたった。当時の欧州における数学分野での発展の成果を学ぶべく、1787 年にイスタンブルに来たフランス人技師の対数表を政府に献呈し、その対数表の使いかたを説明するための論考をトルコ語で著した。晩年にはギリシアのテッサリアの法官職にも任じられているため、法学などの伝統的諸学にも精通していたと考えられる。論理学者としても有名。Ḥāšiya ʿalā šarḥ al-Ğalāl(イージーの ʿAqāʾid に対してダッワーニーが付した注釈への傍注)、Taʿlīqāt ʿalā ḥāšiyat as-Siyālkūtī(イージーのʿAqāʾid に対してジュルジャーニーが付した注釈に 17 世紀のインドの神学者スィヤールクーティーが付した傍注へのさらなる傍注)などの著書を残している。

v. 19 世紀後半から 20 世紀
1) アフメト・ヒルミー(Şehbenderzâde Filibeli Ahmed Hilmi, 1914 年没)
Üs-i İslâmYeni akaid)の著者。
2) ハルプーティー(Abdullatif Harpûtî, 1916 年没)
Mağālis al-anwār al-aḥadiyya wa-mağāmiʿ al-asrār al-Muḥammadiyya と Tanqīḥ al-kalām fī ʿaqāʾid ahl al-Islām の著者。
3) イスマイル・ハック(İzmirli İsmail Hakkı, *年没)
Yeni ilm-i kelâm の著者。

[II. 研究リスト]
・Arslan, A. (1987): Kemal Paşâ-zâde Tehâfüt Hâşiyesi’nin Tahlili, İstanbul: *.
ホジャザーデの Tahāfut al-falāsifa に対してケマル・パシャザーデが付した傍注に関する研究。
・Bolay, S. H., et al. (eds. [1986]): Şeyhülislâm İbn Kemâl sempozyumu tebliğler ve tartışmalar, Ankara: *.
・Dalkıran, S. (1997): İbn-i Kemal ve düşünce tarihimiz, İstanbul: *.
・Duran, R. (tr. [1990]): Alâddin Ali TûsîTehâfütü’l-felâsife (Kitâbu’s-Zuhr), Ankara: *.
アラーウッディーン・トゥースィーの Tahāfut のトルコ語訳。
・Luciani, J.-D. (tr. [1907]): La djaouharaTraité de théologie par Ibrahim Laqani avec notes d’Abdesselem et d’el Badjouri, Algier: *.
ラカーニーの Ğawharat at-tawḥīd と同書に対する彼の息子アブドゥッサラームならびに 19 世紀アズハルの学者ビージューリーによる注釈の仏訳.
・Öçal, Ş. (2000): Kemal Paşazâde’nin felsefî ve kelâmî görüşleri, Ankara: *.
・Ömer, A. (2004): Türk kelâm bilginleri (Felsefe ve hikmet dizisi 39), İstanbul: İnsan yayınları.
「トルコ人神学者」の列伝。オスマン朝以外の神学者も取りあげているが、オスマン朝の神学者であっても明らかにアラブ人(シリア人・エジプト人・北アフリカ人など)である神学者は排除されている。3 部構成で、第1部では「オスマン朝以前のトルコ人神学者」(マートゥリーディー、ナサフィーなど)が、第 2 部では「オスマン朝期のトルコ人神学者」(ファナーリー、イブン=フマームなど)が、そして第 3 部では「神学に関係のある著作を著したオスマン朝の学者」(神学分野での著作は残っているが、それ以外の著作や伝記的事項は不詳であるような人物;Aḥmad Ğamāladdīn Masʿūd[1331 年没];ファナーリーの息子・孫など)がそれぞれ扱われる。
・Özervarlı, M. S. (2008): Kelâma yenilik arayışları19. yüyıl sonu-20. yüzyıl başı, 2. Baskı, İstanbul: *.
ムハンマド・アブドゥを含めた 19 世紀後半から 20 世紀の神学改革運動に関する研究。
・Sait, M. (1999): “Osmanlı dönemi türk kelâm bilginleri”, in: G. Eren, et al. (ed.), Osmanlı, 12c., Ankara: Yeni Türkiye Yayınları, c. 8: Bilim, 176-86.
マートゥリーディー、ナサフィーの 2 人からはじまり、イスマイル・ハックまでの 10 人の神学者についての紹介。
・Sözen, K. (2001): İbn Kemal’de metafizik, İsparta: *.
・Türker, M. (1956): Üç Tehâfüt bakımından felsefe ve din münasebeti, Ankara: *.
ホジャザーデとガザーリー、アヴェロエス 3 人の Tahāfut の比較研究。
・Yavuz, Y. V. (tr. [1979]): Fıkh-ı ekber, Aliyyü’l-Kârî şerhi, İstanbul: *.
Fiqh akbar に対するアリー・カーリーの注釈のトルコ語訳。
Yazıcıoğlu, M. S. (1983): “Hızır Bey ve Kasîde -i Nûnîye’si”, Ankara üniversitesi ilâhiyat fakültesi dergisi 26 (1983), 549-88.
フズル・ベイの著作 al-Qaṣīda an-nūniyya を校訂し訳注を付したもの。
・id. (1990): Le kelâm et son role dans la société turco-ottomane aux xve et xvie siècles (Editions Ministère de la culture 1240 / Série d’ouvrages culturels 165), Ankara: Editions Ministère de la culture.
3 部構成。第 1 部ではイスラム神学(kalām)の歴史を通史的に扱い、15-16 世紀の重要な神学者を列伝形式で紹介する。そして第 2 部では神学上の諸問題について論じ、第 3 部では社会のなかで神学が果たした役割を分析する。フズル・ベイ、ハヤーリー・アフメト・エフェンディー、イブン=フマーム、ケマル・パシャザーデ、ナサフィー、ホジャザーデ、モッラー・ルトフィー、Muṣṭafā Afandī Qastallānī (1495 年没)の 8 人が取りあげられる。

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