Melvin-Koushki, M. S., “The Quest for a Universal Science: The Occult Philosophy of Ṣāʾin al-Dīn Turka Iṣfahānī (1369-1432) and Intellectual Millenarianism in Early Timurid Iran”, PhD diss., Yale Univ., 2012, 2-33.
イブン=トゥルカ(1432 年没)思想に関する超本格的な博士論文が提出されました。サーイヌッディーン・イブン=トゥルカ・イスファハーニーは 14-15 世紀シーア派を代表する神秘哲学者。一般に彼は(ハイダル・アームリー[1385 年頃没]やイブン=アビー=ジュムフール[1501 年以降没]と並んで)、アヴィセンナ(もしくはトゥースィー[1274 年没]?)の逍遥哲学とスフラワルディー(1191 年没)の照明哲学、そしてイブン=アラビー(1240 年没)の神秘思想という 3 つの要素をシーア派的枠組みの内部で融合させた人物と評され、その影響力の強さから彼の『諸原理序説』(Tamhīd al-qawāʿid)は現在もイランにおいて(カイサリー[1350 年没]の『言葉の諸特性が立ち昇る処』[Maṭlaʿ ḫuṣūṣ al-kalim]、およびファナーリー[1431 年没]の『親密の灯』[Miṣbāḥ al-uns]とともに)、イルファーン(神秘哲学)のテクストとして読み継がれています。ところが本論文で Melvin-Koushki はイブン=トゥルカに対するこうした伝統的な見方を一面的なものと切って捨てます。それでは彼はイブン=トゥルカをどのような仕方で評価するのでしょうか。今回は序論部で示されている議論の全体像のみをまとめておきます。
イブン=トゥルカ(1432 年没)思想に関する超本格的な博士論文が提出されました。サーイヌッディーン・イブン=トゥルカ・イスファハーニーは 14-15 世紀シーア派を代表する神秘哲学者。一般に彼は(ハイダル・アームリー[1385 年頃没]やイブン=アビー=ジュムフール[1501 年以降没]と並んで)、アヴィセンナ(もしくはトゥースィー[1274 年没]?)の逍遥哲学とスフラワルディー(1191 年没)の照明哲学、そしてイブン=アラビー(1240 年没)の神秘思想という 3 つの要素をシーア派的枠組みの内部で融合させた人物と評され、その影響力の強さから彼の『諸原理序説』(Tamhīd al-qawāʿid)は現在もイランにおいて(カイサリー[1350 年没]の『言葉の諸特性が立ち昇る処』[Maṭlaʿ ḫuṣūṣ al-kalim]、およびファナーリー[1431 年没]の『親密の灯』[Miṣbāḥ al-uns]とともに)、イルファーン(神秘哲学)のテクストとして読み継がれています。ところが本論文で Melvin-Koushki はイブン=トゥルカに対するこうした伝統的な見方を一面的なものと切って捨てます。それでは彼はイブン=トゥルカをどのような仕方で評価するのでしょうか。今回は序論部で示されている議論の全体像のみをまとめておきます。
イルファーンとは一言でいえば、「絶対存在=真実在(神)」に関する探究のことを指します。事実、カイサリーの『言葉の諸特性』においても、ファナーリーの『親密の灯』においても、そしてもちろんイブン=トゥルカの『序説』においても、主題的に論じられるのは真実在としての「絶対存在」、すなわち、絶対的に考察された「存在」そのものです。ところが、だからといって、イブン=トゥルカ思想の根幹がイルファーンにあると結論すべきではない、と著者は言います。彼によれば、こうした考えかたはイブン=トゥルカの主著を『序説』だと考えるカージャール朝末期イランの伝統に引きずられた理解です。むしろ実際に彼の残した著作を調べてみると、イルファーンをもその内に含みこむような或る普遍的な学を構想した著作が残されていることに気づきます。『探究』(al-Mafāḥiṣ)です。この書で行われているのは、絶対存在に関する探究ではありません。むしろカバラ的な神秘的文字学が展開されているといいます。同書の序論部で、イブン=トゥルカは絶対存在という概念を探究のしかるべき対象として措くことを拒否しています。彼によれば、あるものとあらざるもの、ありうるものとありえないものを包括する(つまり「普遍的学」のしかるべき対象となる)のは文字のみであり、その意味で「形而上学」の名に値する学の唯一可能なありかたは文字学なのだと主張します。こうして彼は同書において一者の内にある顕現全体のルーツならびにそこから多性が派生してくる機序に関して徹底的に論じ、「文字」(ḥarf)が有する(1)数秘術的な側面、(2)書かれたものとしての側面、(3)音として伝わるものとしての側面、という 3 つの次元を詳述していきます(なおこれらにくわえて第 4 部では言語・文学といったより広い文脈からの文字論が開陳されているとのこと)。このような文字学を中心として展開される数秘術や占星術、自然魔術といったたぐいのオカルト哲学(しかもそれらは皆、新プラトン主義・ヘルメス主義・カバラ思想に基づいて構築された或る包括的な religious philosophy 或いはコスモロジーという統一的全体を構成する)にこそ、イブン=トゥルカ思想の真骨頂がある。これが著者 Melvin-Koushki の主張です。
このような観点から、著者はイスラム思想史におけるオカルト哲学そのものの重要性を説き、次いでその歴史(アブルアッバース・ブーニー[1225 年没?]、イブン=アラビー、サアドゥッディーン・ハムヴァイー[1252 年没]、サイイド・フサイン・アフラーティー[1397 年没;イブン=トゥルカの師]、ファズルッラー・アスタラーバーディー[1394 年没])を素描することで、イブン=トゥルカのオカルト哲学に帰すべき歴史的な位置づけを模索していきます。西欧ルネサンス期における新プラトン主義・ヘルメス主義・カバラ思想などが後のいわゆる「科学革命」を準備したのとは(例えば同時代イタリアにおけるピコ[1494 年没]思想の成功とは)対照的に、彼のオカルト哲学は後のイランなどではさほど成功裏には受容されなかったといいます。しかし彼とその支持者を中心に形成された「イスファハーン・サークル」(或いは 10 世紀頃バスラで活躍した秘密結社にならい、「純潔同胞団」とも自称した)は、当時イラン西部からカイロ、アナトリア、そしてバルカン半島に至るまでのきわめて広範な地域にまたがり、マドラサやハーンカー(スーフィーの修道場)といった既存の教育システムから自由に連帯しました。自然科学・哲学・聖典解釈・歴史・神秘主義に関する知をカバラ的な神秘的文字学と預言者論の枠組みのなかで綜合しようと試みたイブン=トゥルカならびに彼らの運動は、ヒジュラ暦 1000 年を目前(といっても、そこまで「目前」ではない)に控えていた当時の千年王国思想と結びつき、中世後期から初期近代におけるイスラム思想史を再構成するうえで欠くことのできない重要なピースの 1 つとなるようです。
Keine Kommentare:
Kommentar veröffentlichen