Samstag, 17. Dezember 2011

アーンツェン『アラビア哲学におけるプラトン的イデア』

Arnzen, R., Platonische Ideen in der arabischen Philosophie: Texte und Materialien zur Begriffsgeschichte von suwar aflatuniyya und muthul aflatuniyya, Berlin: De Gruyter, 2011.

ドイツにおけるGraeco-Arabica 研究の中堅どころRüdiger Arnzen による最新作です。彼は他のGraeco-Arabica 系の研究者とは異なり、これまでにも積極的に後期哲学の領域に乗り出していました。本作はそんな彼による、アラビア哲学におけるプラトン的イデア論の展開を主題的に取り上げた世界初の試みです。以下が裏表紙に掲げられた紹介文です。

プラトン的イデア論の影響は西洋哲学史のほぼ全ての時代におよぶ。しかしアラビア語で著述活動を行った哲学者たちもまた(プラトンの対話篇に接することがなかったにもかかわらず)常に「プラトン的イデア」論を展開していたという事実は、ほとんど知られていない。本研究は何故プラトンの著作にさかのぼることができなかったにもかかわらず、〔アラビア哲学においてこれほど〕さかんにイデア論が論じられるようになったのかを探究する。そして関連するいくつかのアラビア語テクストについても、初の独訳を提示する。これらの作業を通じて、読者諸氏はプラトン主義の受容史における、これまで研究されてこなかった、そして部分的には徹底的にイスラムの影響を受けた支流について洞察を得ることができるだろう。

なお目次(独語版はamazon.de で見られるので、ここではその和訳)は以下の通りです。

I. スフラワルディー以前のプラトン的イデア・形象
 1. 序論(1-)
 2. アラビア語資料に見るアリストテレスによるイデア論批判(12-)
 3. アラブのプロティノス(29-)
 4. アラブのプロクロス(42-)
 5. 偽アンモニウスのドクソグラフィ(50-)
 6. ファーラービー(53-)
 7. (偽?)ファーラービー『二賢者の見解の統合の書』(67-)
 8. ヤフヤー・イブン=アディー(71-)
 9. イフワーン・サファー(75-)

 10. イブン=スィーナー(86-)
 11. イブン=タイイブ(99-)
 12. 11-12世紀におけるイブン=スィーナーの弟子および批判者
  の見解に見るプラトン的イデア(106-)
II. スフラワルディー哲学におけるプラトン的イデア・形象(119-)
III. 13-14世紀におけるアラビア哲学・ペルシア哲学の諸著作に
 見るプラトン的イデア・形象
 1. 序論(151-)
 2. イブン=カンムーナ(155-)
 3. シャフラズーリー(161-)
 4. クトゥブッディーン・シーラーズィー(168-)
 5. 著者不詳『プラトン的知性的形象』(175-)
IV. 15-17世紀のアラビア哲学におけるプラトン的イデア・形象の素描
 1. 序論(185-)
 2. イブン=トゥルカとダウワーニー(186-)
 3. ミール・ダーマード(192-)
 4. モッラー・サドラー(203-)
補遺1: 『プラトン的知性的形象』独訳(213-)
補遺2: イブン=スィーナー『バグダードの学者たちに宛てた徳のある
 人の手紙』独訳(355-)
補遺3: モッラー・サドラー『超越的叡智』第1の旅第4階梯第9章独訳(371-)
補遺4: イブン=カンムーナ『叡智に関する新たなもの』:シャフラズーリー
  『神の木』のソース?(407-)

これらの中でも、出色はII とIII.5 、IV.2 、そして補遺1 ではないでしょうか。スフラワルディー(1191年没)の形象論については、これまでもCorbin やLandolt らが取り上げています。しかし私の知るかぎり、前者は想像力の対象となる形象を主題的に扱うことが多く、後者はおおむね概論的な内容に終始しています。スフラワルディーのプラトン的形象論、あるいはイデア論は後のアラビア哲学に多大な影響を与えたものと推測されますが(例えばタフターザーニー[1389/90年没]も『神学の目的注釈』中で否定的にではあるものの、スフラワルディーのプラトン的形象論に言及している)、その実、これを詳細に分析した研究は皆無というのが現状のようです。そのため、それを比較的詳しく分析したと考えられる本書第II 章は、後期のアラビア哲学に関心を有する全ての人が参照すべき箇所だといえます。

またアラビア哲学史研究において「哲学ではない」として等閑に付されることが多い存在一性論についても、IV.2 できちんと取り上げられています。たしかに存在一性論者としては、イブン=トゥルカ(1431/2年没)1人しか取り上げられていませんし、おそらくはきわめて簡単な論じ方しかされていないのだとは思いますが、これはむしろ今後の研究者が達成すべき課題でしょう。くわえて存在一性論におけるイデア論受容は(管見の限りでは)ほとんど研究がなされていないテーマなので、同節は存在一性論研究においても大きな意義をもちます。また個人的な事情で言えば、イブン=トゥルカはファナーリーと同時代の人なので、彼と同時代の存在一性論者がどのようなイデア論を展開していたか知ることができるのは、非常に益するところがあります。

そして『プラトン的知性的形象』についても、III.5 と補遺1で取り上げられています。特に補遺1では、校訂者Badawi が使用していない写本をさらにいくつか参照しながら、同書の訳注が試みられています。注目すべきことに、著者はMs. Ayasofya 2455 も参照しているもようです。III.5 の限られた紙幅で同書の論じるさまざまな問題をすべて拾うことはできていないでしょうが、学界を代表する研究者がこれを主題的に分析し、さらに訳注まで付した意義はきわめて大きいといえます。

おそらくはっきりした結論が出るような研究ではなく、全体を通して資料集としての性格が濃い研究だと思われます。しかし今後、後期アラビア哲学におけるプラトン的イデア論を扱う際には、すべからく前提されるべき記念碑的な研究であることはまちがいないでしょう。必携です。

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