Freitag, 22. Oktober 2010

ファナーリーの形象論15

以前から度々言及していますが、Heerが1970年にアメリカ東洋学会で行った発表“The Sufi Position with Respect to the Problem of Universals”によれば、ファナーリーの議論のソースになっているのは『プラトン的知性的諸形象』という1冊の短い論考です。これを否定する根拠もないですし、確かに両者の議論の間には字面の上でも相当の対応が見受けられます。そのため、同書がファナーリーのソースである可能性は決して低くないと私は考えています。

しかしソースと断定できるかどうかは置いておくにしても、少なくともソースである可能性を云々するためには、まず『プラトン的知性的諸形象』の方がファナーリーの『親密の灯』よりも前に書かれている、という事実が必要になります。同書の成立年代については、著者が誰だか不詳であるということもあり、正確にはわかりません。ただ、Corbinによれば、「見たところ、ヒジュラ暦8世紀〔=西暦14世紀〕」頃の著作だとのことで、これに従えば、同書がファナーリーの議論のソースであった可能性は十分に出てきます。
H. Corbin, ''Prolégomènes'', in: Shaykh al-Ishraq al-Suhrawardi, OEuvres philosoophiques et mystiques, ed. H. Corbin, vol. 1 (Paris: Institut Franco-Iranien, 1952), p. L.

Corbinのこの推定の根拠になっているのは、Ayasofya 2455写本の奥付です。Ayasofya 2455は『プラトン的知性的諸形象』の現存する最古の写本らしく、Corbinによれば、書写年はヒジュラ暦740年(=西暦1339/40年)とのこと。Corbin, ''
Prolégomènes'', p. L, note 79. しかしCorbinは当時この写本を自分で実際に確認できてはいない、とも証言しています。とすると、Corbinはどこからこの写本の書写年に関する情報を得たのでしょうか。

Corbinが典拠として挙げているのは、P. Kraus, ''Plotin chez les Arabes: Remarques sur un nouveau fragment de la paraphrase arabe des Enn
éades'', Bulletin de l'Institut d'Egypte, 23/2 (1941), pp. 263-95という論文です。この論文のp. 279, note 1でKrausは、『プラトン的知性的諸形象』の諸写本について言及しています。Ayasofya 2455についても、ここで触れられています。が、奇妙なことに、この注の中には同写本の書写年に関する情報は一切出てきません。Krausが実際に与えている情報は104 foliosだということのみ。しかもKrausもこの写本を自分自身で確認しているわけではなさそうです。というのも、この104 foliosだという情報の典拠として挙げられているのは、「communication H. Ritter, 27.6.1935」というメモ書きのみだからです。これは恐らく彼が1935年6月27日にRitterから個人的に聞いたということでしょう。Ayasofyaコレクションについては、これ以前にも既にM. Plessner, ''Beiträge zur islamischen Literaturgeschichte'', Islamica, 4/5 (1931), pp. 525-61という論文の中で紹介されてはいるのですが、2455写本については情報が抜け落ちています。

となると、次に当たるべきはKrausが上掲論文を発表した1941年以降にRitterが発表しているトルコ(特にイスタンブル)における写本所蔵状況に関する論文です。まずは以下の3点を確認してみます。

1. Ritter, H., ''Philologika. XIII'', Oriens, 2 (1949), pp. 236-314; 3 (1950), pp. 31-107.
2. id., ''Autographs in Turkish Libraries'', Oriens, 6 (1953), pp. 63-90.
3. id., ''Ayasofya k
ütüphanesinde tefsir ilmine ait arapça yazmalar'', Türkiyat Mecmuası, 7-8 (1945), pp. 1-93.

ただ、そうはいっても、Badawiが『プラトン的知性的諸形象』の校訂に際して使用しているものの中で最も古いTaymur 292写本の書写年はヒジュラ暦833年(=西暦1429/30年)だそうなので、Ayasofya 2455写本の奥付を実際に確認できないからといって、同書からのファナーリー(1431年没)に対する影響関係を一切論じられないというほどではないと思うのですが、これは希望的観測ですかね。うーむ、まぁ、決定打には欠けるか。

- - -
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

[更新後付記]
DLして検索をかけてみたところ、Ritterの上掲1と2の論文では、Ayasofya 2455写本については触れられていないようです。3が収録されている雑誌も東文研には所蔵されているようなので、週明け月曜にはチェックします。

Keine Kommentare:

Kommentar veröffentlichen