Donnerstag, 16. Dezember 2010

ファナーリー『太陽の書簡傍注』、『神学教程傍注』、『神学教程提要注釈』の真正性について

1年前にトルコで開かれたファナーリー・シンポジウム。そこでファナーリーの著作の真偽問題について扱っている博論生が発表していたという情報は、指導教員から教えてもらっていました(ことの顛末については、1年前のポスト参照)。彼にはいくつか質問してみたいことがあったのですが、彼からのメールを私に転送するのを指導教員がめんどくさがって放置していたため(おい)、この1年間なすすべなく、頓挫状態にありました。それが先日ついに、指導教員が重い腰を上げてくれたため(!)、ようやくその博論生とコンタクトを取ることに成功しました。

彼の名前はKadir Gombeyaz。Uludag大学神学部の博士課程に在籍しているようです。今回私が彼に質問したのは、次の3つの著作の真正性について。

1) 『太陽の書簡al-Risalah al-Shamsiyah』への傍注
2) 『神学教程al-Mawaqif』への傍注
3) 『神学教程提要Mukhtasar al-Mawaqif』(=『神学の本質Jawahir al-kalam』)への注釈

1) はカーティビー(Najm al-Din al-Qazwini al-Katibi, 1276/7年没)の『太陽の書簡』に対するクトゥブッディーン・ラーズィー(Qutb al-Din al-Razi al-Tahtani, 1364/5年没)の注釈、に対するジュルジャーニー(al-Sayyid al-Sharif al-Jurjani, 1413年没)の傍注、に対する傍注。2) はイージー('Adud al-Din al-Iji, 1355年没)の『神学教程』に対するジュルジャーニーの注釈、に対する傍注。3) はイージー自身が『神学教程』の内容を更に簡潔にまとめた『神学教程提要』に対する注釈です。

私が参照したいくつかのトルコ語の研究では、1) はファナーリーの真作とは見なされておらず、それに対して2) と3) は真作とされています(たしか)。いずれもメフメト・ターヒル(19-20世紀)のOsmanlı müellifleriを典拠にしているのですが、ハーッジー・ハリーファ(17世紀)のKashf al-zununによれば、1) はファナーリーの真作、2) と3) は別人の作とのこと。私はメフメト・ターヒルよりも、ハーッジ・ハリーファの方が時代的に古いし信頼できるだろうと考えて、1) は真作、2) と3) は偽作と考えていたのですが、Gombeyazによると、どうもそうではないのだとか。

1) に関しては、現在私はMss. Edirne Selimiye 6100; Denizli 250; İzmir 264の3 写本をもっています。しかし彼曰くDenizli 250とİzmir 264はタイトルこそ違えど、実際の内容は『イーサーグージー注釈Sharh Isaghuji』。そしてEdirne Selimiye 6100はカーティビーの『太陽の書簡』本文。いずれも『太陽の書簡』への傍注ではないのだそうです。ちなみにEdirne Selimiye 6100の欄外には、部分的に書き込みが残されており、これがファナーリーの傍注だという可能性も排除しきれないものの、やはり判読が難しいし、何よりもこの欄外書き込み冒頭部にはダウワーニー(Jalal al-Din al-Dawwani, 1501年没)の名があるため、これもどうやら違うのだそうです。また私自身は未確認ですが、Suleymaniye図書館にはMs. Kilic Ali Pasa 637/2 (Hashiyah 'ala hashiyat al-Fanari 'ala al-Shamsiyah) という写本が所蔵されているらしいのですが、これも実際の内容は『イーサーグージー注釈』に対するクール・アフマド(Qul Ahmad, 16世紀?)の傍注でしかないとのこと。つまり『太陽の書簡』に対する傍注を実際にファナーリーが書き残した可能性はゼロではないが、少なくとも現在のところ、そうした写本は確認されていない、という状態なのだそうです。

2) に関してはGombeyazもハーッジー・ハリーファに従って、ファナーリー(1431年没)の孫ハサン・チェレビー・イブン=ムハンマド・シャー・イブン=ファナーリー(1481年没)の著作だろうとしています。しかし3) に関しては、少し事情が異なります。私はハーッジー・ハリーファがこれについて、「ファナーリーの著作ではないと思うが、ファナーリーの著作だと言っている者もいる」という不明瞭な言い方しかしていないことを理由に、真正性は疑わしいと考えていました。しかしGombeyazは孫のハサン・チェレビー自身が(『神学教程傍注』の中で?)、ファナーリーが同書に対する注釈を書いているという旨を書き残していることに言及し、これをファナーリーの真作だろうとしています(但し現在のところ、写本は確認されていないのだそう)。

以上をまとめると、1) は真作かもしれないが、写本は確認されていない。2) は偽作。3) は真作だろうが、写本は確認されていない、となります。だいぶガッカリですが、とても勉強になりました。ちなみにシンポジウムのプロスィーディングスが出来上がったので、私の分も含めて指導教員宛てに郵送してくれるとのこと。感謝です。

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