Mittwoch, 1. September 2010

オリエント学会第52回大会発表要旨

このほど、11月のオリエント学会での発表要旨を大会実行委員に提出しました。ということで、以下に全文をアップしておきます。お気付きの点などございましたら、ご指摘いただけると幸いです。

『プラトン的知性的諸形象』に見る形象論の諸相

 シャムスッディーン・ファナーリー(1431年没)は,タフターザーニー(1389/90年没)に代表される存在一性論批判に対して,存在一性論側から反駁を加えたオスマン朝初期の学者である。タフターザーニーによれば,絶対無限定の存在(以下,絶対存在)とは,外界に実現をもたない普遍概念,或いは外界にある如何なるものとも対応しない第二次思惟対象であるという。しかし存在一性論においては,それは神と同定される。そのため,神がそれ自体において必然的に存在するものである以上,絶対存在もまた存在者であるとしなければならない。このような観点から,ファナーリーの一連の論証においては,絶対存在の存在証明が極めて重要な位置を占めることになる。そしてその一部で彼が具体的に依拠していると見られるのが,本発表で焦点を当てる「形象」(mithāl)をめぐる議論である。
 ファナーリーは『親密の灯』「普遍的神秘の開示」第1章第12根源において,問題の形象について論じている。彼によれば,形象論は絶対存在論へとつながっていく重要なテーマである。但しここで注意しなければならないのは,彼の議論に或るソースの存在した可能性が指摘されているということである。Heerが1970年にアメリカ東洋学会で行った発表 “The Sufi Position with Respect to the Problem of Universals”(2006年改訂版:http://faculty.washington.edu/heer/universals-sep.pdf)によれば,それは『プラトン的知性的諸形象Al-Muthul al-‘aqlīyah al-Aflātūnīyah』という著者不詳の論考である。同書は形象をめぐる様々な学説を詳述した著作であり,第1章ではプラトン的諸形象(al-muthul al-Aflātūnīyah)について,第2章では中間的諸形象(al-muthul al-mu‘allaqah)について,そして第3章では絶対存在と存在必然者との関係について,それぞれ詳しい議論が為されている(ちなみに第3章には少なくとも一部,存在一性論批判と見られる記述が含まれている)。内容からは存在一性論や照明哲学,並びにイブン=スィーナー以降の哲学的神学などからの強い影響が見てとれるが,校訂者のBadawīも認めている通り,何か特定の学派の見解が常に採られるわけではなく,むしろ様々な学説が適宜批判されつつ受容されていると言える。現時点でこれをファナーリーのソースと断定することはできないが,両者の議論の間に字面の上で相当の対応が見受けられるのもまた事実である。
 そこで本発表ではファナーリー形象論の思想史的位置付けに向けた基礎作業の1つとして,『プラトン的知性的諸形象』に見られる形象論の諸相について論ずる。その際,特に形象論と絶対存在論との連関に注意を払い,同書の著者とファナーリーの間での見解の異同についても可能な限り明らかにすることを目指す。

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