ちょっと見ないうちに、nikubeta さんのブログで(何故か本名丸出しで)呼びかけて頂いていて、ビックリしています。Janssens 氏からは今朝メールが届いていて、それによれば夏前にリストがもらえたらvery happy なので、とりあえず今すべきことがあったらそちらを優先してください、とのことです。実際、リストを送ったとして、どの程度まで収録してもらえるのか(あるいは収録してもらえるのかすら)定かではありませんが、まぁ、せっかくですし、送らない手はないでしょう。昨日CiNii などを中心に検索をかけた結果、だいたい以下のようなものがあるそうです。
Translations
イブン=スィーナー(志田信男訳)『アヴィセンナ:医学の歌』草風館,1998.
―――(小林春夫訳)「救済の書」竹下政孝監訳『中世思想原典集成11:イスラーム哲学』平凡社(2000), 339-406.
―――(岩見隆・木下雄介訳)「アヴィセンナ『形而上学』(その1)」『慶応義塾大学言語文化研究所紀要』39 (2008), 141-154.
―――(岩見隆・木下雄介訳)「アヴィセンナ『形而上学』(その2)」『慶応義塾大学言語文化研究所紀要』40 (2009), 141-159.
Papers & Books
新井裕子「イブン・スィーナー(アヴィケンナ)の音楽論」『音楽学』48 (2002), 169-181.
小村優太「イブン・シーナー『治癒の書』「霊魂論」における形相受容と直観の働き」『中世思想研究』50 (2008), 49-61.
―――「イブン・シーナーによる『アリストテレスの神学』注解について」『新プラトン主義研究』9 (2009), 99-108.
中村廣治郎「イブン=シーナーの創造論」『東京大学宗教学年報』16 (1999), 1-14.
仁子寿晴「中世イスラーム哲学における様相論の展開:イブン=スィーナーからトゥースィーまで」『オリエント』40/1 (1997), 103-123.
沼田敦「理性的魂の準備は能動知性からの作用を必然化するのか:イブン・シーナーの知性認識理解が含む一問題 」『中世思想研究』38 (1996), 81-87.
―――「イブン・シーナーにおけるアリストテレス理解と批判:『De Anima欄外注』の知性論より」『西南アジア研究』47 (1997), 1-21.
―――「イブン・シーナーの「存在者」の二側面:「非構成要素」と「認識の第一の始源」」『中世思想研究』43 (2001), 117-129 & 270.
―――「ファーラービーのどの主張がイブン・シーナーの『形而上学』理解を可能にしたのか:ファーラービーによる『形而上学』の主題把握の射程」『関西アラブ・イスラム研究』1 (2001), 65-83.
―――「イブン・シーナーと『アリストテレスの神学』の流出論:イスラム哲学の思想史上の意味」『新プラトン主義研究』5 (2006), 105-118.
山内志朗「ドゥンス・スコトゥスの存在の一義性とアヴィケンナの影響」『哲学雑誌』vol. 113, no. 785 (1998), 129-146.
―――「アヴィケンナの存在論との関連から見たスコトゥスの個体化論」『中世思想研究』(中世哲学会)40 (1998), 19-36.
松本耿郎「イスラーム哲学における「愛」についての考察:“清浄の同胞団”とイブン・スィーナー 」『サピエンチア:英知大学論叢』35 (2001), 1-20.
―――「イブン・スィーナー(アヴィケンナ)の哲学における「愛」に関する考察」『サピエンチア:英知大学論叢』36 (2002), 97-121.
米山基「トマス・アクィナスの内部感覚理解について:アヴィケンナとアヴェロエスによる影響の観点から」『早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第1 分冊』54 (2008), 5-15.
いろいろな意味でどこまで含めるのかという問題がたぶんにありますね。そういえば、明日は『治癒の書』「形而上学」研究会なので、先生および諸先輩方にもちょっと聞いてみようと思います。
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[後日付記]
東京学芸大学の小林春夫先生のご指摘により、小村優太さんの業績を一つ付加することができました。
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