Freitag, 14. August 2009

まとめあぐねる7

つい先ほど、fenderski さんにご指摘頂いた点に何とか、概ね、手を入れることができました。修正した大きな点は以下の二つです:

1. タフターザーニーは「存在者」=「〈存在〉をもつもの」とは考えていない。よしんば考えているとしても、それは「存在をもつもの」であって「〈存在〉をもつもの」ではない。

2. 〈存在〉を共有するのは諸存在者ではなく、諸存在。 タフターザーニーにとって、〈存在〉とは諸存在間で共有される一なる意味概念である。

元々この問題自体、私がきちんと理解できていないせいもあって、相当苦しんだのですが、字数的にも多くは割けないし、理解できていないことを書いてしまうのは問題があるしということで、議論自体はざっと表面をなぞるだけの、かなりシンプルなものになりました。まぁ、逆によかったのかもしれません。

ただ、それとの関連で、別の節での議論にも少し問題が波及してしまっています。問題は〈存在〉の分類に関するところ。「al-wujud はal-wajib とal-mumkin に分類される」(Taftazani, Sharh al-Maqasid, vol. I, p. 339, lines 5-7)という議論を、いままで私は「〈存在〉は必然者と可能的なものに分類される」という意味で理解していました。しかしこれは内容的に考えて恐らく、「al-wujud は[al-wujud] al-wajib [al-wujud] al-mumkin に分類される」、つまり「〈存在〉は必然者の存在と可能的なものの存在に分類される」という意味で理解しなければならないだろう、という結論に達しました。通常、例えば「必然者の存在」とアラビア語で言うときには、al-wujud al-wajib(必然的な存在)とは言わず、wujud al-wajib(必然的なものの存在)と言うはずなんですが、しかし同様の用例を少し離れた箇所(Taftazani, Sharh al-Maqasid, vol. I, p. 319, lines 10-11)でも見出せますし、そもそもそこで論じられているテーマは「諸存在者間での共有」ではなく「諸存在間での共有」なので、きっとそういうことだろうと。

ただ、そうした場合、いままで「〈存在〉を必然者と同定すると、必然者が可能的なものにも分類されることになる」というようなシンプルでわかりやすいと思っていた議論が、「〈存在〉を必然者と同定すると、必然者が可能的なものの存在にも分類されることになる」という、若干わかりにくい議論になってしまいます。

これも「分類の源はその諸区分の間で共通である」という事実を読み込むことによって、「そうすると、可能的なものの存在が必然者をもつということになってしまう」というところまで展開することはできます。けど、それもやっぱり少しわかりにくいというか、問題であることが認識しにくいというか。

この問題の背後には、きっと(たぶん…)あるものの存在と何性は思惟のレベルでは分割されるが、生の実在レベルでは分割などされ得ず、寧ろあるのはただそのものただそれだけである、というような議論があるんじゃないかと思います。つまり実在レベルでは「あるものの存在」はそのもの自体であるとかいうことなんじゃないでしょうか。そうすれば、「必然者が可能的なものに分類される」というこれまでの議論と同じ内容のものとして処理することができます。

或いはそれよりもタフターザーニーの述語付け論を考慮したほうがわかりやすいのかもしれません。つまり必然者の存在も可能的なものの存在も「何かの」存在である訳ですが、何かの存在であるようなものに対しても〈存在〉それ自体を述語付けることは可能です(このようなことは、このままの言い方でではないにせよ、タフターザーニー自身も言っています)。例えば「パブロフの犬」は端的に「犬」とも言える訳です。そしてタフターザーニーは、述語付けが正しく為されるとき、主語と述語は(概念レベルでは互いに異なっているが)実在レベルで統一されていなければならない、と言います。このような観点から見れば、〈存在〉と必然者が同定された場合、可能的なものの存在が必然者であるという結論が帰結することになります。これは背理だと言えるでしょう。

恐らくこの述語付け論を使った説明なら比較的わかりやすく機能してくれるのではないかと思いますが、ただ、或る程度テクスト上での典拠(つまりタフターザーニー自身がこの問題との関連で述語付け論を援用しているという典拠)が示せないと、思弁に過ぎる印象はぬぐえません。

字数的に見ても、論述全体の構成から見ても、第II 章第2 節の最後の最後でタフターザーニーの述語付け論に関して長々書くことは不可能です。書くにしても本当に簡単に、、或いは注で言及するだけにするか、、、悩ましいところです…。

いずれにせよ、もういい加減、現実的判断を下して、今日の午前中のうちには二次資料の総点検に移行します。

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