やはりところどころ記憶が曖昧でどう書いたか思い出せない箇所もあったのですが、そこはもうスパッと諦めました。大事なのは元通りに戻すことではなくて、論理的に明晰か、全体の論述の中できちんと意味を為すかどうかでしょう。
細かい章立ては微妙に変わるかもしれないですが、たぶん全体の構成としては以下のようなかんじになるはずです。
I. 序論
・イブン=タイミーヤ(1326 年没)はイブン=アラビー思想を「哲学」(falsafah)として批判していたが、14 世紀後半から15 世紀前半になると哲学的神学者タフターザーニー(1389/90 年没)の側からも批判が為されるようになる。彼の批判はイブン=スィーナーの哲学的諸概念を援用して展開されている。この後者の批判に対して存在一性論の側から反駁を加えたのがファナーリー(1431 年没)。
・タフターザーニー「神は存在必然者(wajib al-wujud)であるが、〈存在〉の存在が必然的であるなどということはあり得ない」;ファナーリー「いや、必然的である」。この点を証明する為に〈関係〉(nisbah / idafah)という概念が用いられる。
II. タフターザーニーによる批判
1. 〈存在〉と必然性
・〈存在〉は存在必然者と存在可能者とに分割される。
・〈存在〉はあらゆる存在者が共有する。何故ならあらゆる存在者は「存在する」と言われる(但し一義的にではない)から。
・必然者の実相に関するタフターザーニー自身の見解は?(ここまで踏み込むのは難しいか)
2. 必然性をめぐる諸問題
・芥もくたの存在の問題
・〈存在〉の分割の問題
・多性との折り合いの問題
III. ファナーリーの反駁
1. 〈関係〉の定立
・〈存在〉には、〈実在的存在〉(al-wujud al-haqiqi)と〈関係的存在〉(al-wujud al-idafi)という二つの意味がある。
2. 必然性の証明
・神認識は、〈美麗で精妙な神名的諸関係〉(神の内在の側面に対応)と〈荘厳で圧倒的な神名的諸関係〉(神の超越の側面に対応)の両方から為されなければならないが、タフターザーニーは後者の超越の側面からしか神を捉えることができておらず、彼の神認識は不完全云々。
・タフターザーニーの批判のうちで論じられているのは、〈関係的存在〉。しかし神と同定されるのは〈実在的存在〉。故にタフターザーニーが批判するような齟齬は帰結しない。
IV. 結論
・簡単な総括
・〈関係〉と思惟の問題に言及
・ファナーリーに先行する存在一性論者の議論との異同など、今後の課題に触れる。
このうち第I 章第1 節の議論については、数日前から差し込もうかどうしようか思案していたのですが、まだまだ割と字数的にも余裕があるようなので、意を決します。第2 節で分析するタフターザーニーの批判が〈存在〉と必然者との同定に対する指弾である以上、その前提となる議論として、タフターザーニー自身が〈存在〉と必然者(或いは必然性)との関係についてどう考えていたかは、あらかじめ把握しておく必要があるでしょう。この問題は修論でも扱ったり扱わなかったりした部分なので、ちょっと大変なのですが、必要な部分ではあるはずなので、必要最低限はできる限り触れようと思います。
現在は第III 章(分量的には全体の半分弱のはず)がほぼ終わったので、第I 章と第II 章にとりかかっています。明日の明け方までにこの部分を書き上げて、明日は結論と全体の手直しに着手できることを目指します。
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[後日付記]
>明日の明け方までに
さすがにそれは無理でした…
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