Mittwoch, 15. Juli 2009

発表も終わり

法学ゼミでの発表が終わりました。結局大したことはできませんでしたが、それにもかかわらず有益な批判をいただくことができました。ありがとうございました。

最も有益だったのは、fenderski さんからいただいた、タフターザーニーとファナーリーとの間の〈存在〉をめぐる論争と、イブン=スィーナーの「存在偶有説」にはじまる「〈存在〉が先か何性が先か」という論争との関連についてのものです。

具体的に言えば、タフターザーニーとファナーリーとの間の〈存在〉をめぐる論争(特に本性的普遍者論に関わる部分)というのは、例の「〈存在〉が先か何性が先か」という議論と同じ範疇に属するものだろう、それならタフターザーニーの存在一性論批判ばかりでなく、イブン=スィーナーやトゥースィーが行っている議論からの影響も考察対象に入れなければならないのではないか?という批判です。

これは、、、よくわかりません。
いや、広い視野から見ればもちろんそうだと思います。
でも、う~ん、、やはりそうなんでしょうか…。

何性からあらゆる付帯性(偶有)を剥ぎ取っていくと、その抽象化の究極的な局面においては〈存在〉すらも剥ぎ取られる。簡単に言ってしまえば、これが存在偶有説です。でも何性の様相論(i'tibarat al-mahiyah)から見れば、この何性は〈否定的に捉えられた何性〉(al-mahiyah bi-shart la)であり、まだ否定的に(或いは「如何なる付帯性もそこにはない」という条件によって)条件付けられた状態にあるとされます。多くの哲学者たちはこの上に更に〈絶対的に捉えられた何性〉(al-mahiyah la bi-shart)、つまり否定的にも(もちろん肯定的にも)条件付けられていないという様相を想定します。そしてこのように捉えられた何性は述語付け論を援用することで、外界において存在するとされる訳ですが、タフターザーニーはこの様相との関連で本性的普遍者を理解します(因みに本性的普遍者をi'tibarat al-mahiyah のうちのどの様相に関連付けるかは、論者によって異なります)。資料が全く以って足りないので、現状では何とも言い難いのですが、少なくとも私の読んだ箇所から垣間見る限りでは、ファナーリーはこのようなタフターザーニーの本性的普遍者論を概ね受け入れているように見えます。

ただ、タフターザーニーは本性的普遍者の外界における存在は認めつつも、それを〈存在〉と結び付けて論じてはいなかったように思います(たしか)。その一方でファナーリーは、本性的普遍者が外界において存在するということこそが〈存在〉なのだと言います。つまり或る意味では、本性的普遍者論はタフターザーニーの存在一性論批判の内側には無く、これを積極的にとまでは言えないかも知れませんが、論証の場に取り入れたのは、寧ろファナーリーの方だと言える訳です。

それでは〈存在〉について語る際に本性的普遍者論が援用されるか否かというこの違いは、「〈存在〉が先」と考えるか「何性が先」と考えるかという立場の違いに対応するものなのでしょうか。 本性的普遍者論自体は間違いなく何性の様相論の範疇内での議論だとは思いますが、それと〈存在〉とを結び付けた議論となると、、、よくわかりません…。

またそもそも、タフターザーニーより少し前の時代に活躍したカイサリーの『叡智の台座注釈』Sharh Fusus al-hikam の中に、既に〈存在〉と本性的普遍者を結び付けた議論が紹介されている(細かく言えば、結び付け方はファナーリーとは違うのですが)訳で、この点もどう処理したらよいか考えあぐねています。

こういった点についてきちんと論文で触れられるのは、まだまだ先のようです。

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さてさて明後日は再びファン・エス読書会です。
ここしばらくずーっと抜け出せずにいた節が前回でようやく終わったので、気分が一新できるような気がします。そして昨日、話のなりゆきで、読書会第二部として「重要だけど一人で読むのはしんどいフランス語文献を一緒に読もう読書会」がはじまることになりました。とりあえずは以下の論文を読むことに:

Alain de Libera, ''D'Avicenne à Averroès, et retour: sur les sources arabes de la théorie scolastique de l'un transcendantal'', Arabic Sciences and Philosophy, 4 (1994), pp. 141-79

私にとってもfenderski さんにとっても、「超越」は重要な問題(だと思う)ので、がんばります。ここへ来て、来週の日曜に予定されていた『治癒の書』研究会が8 月1 日(土)に延期になったのが非常に助かります。明後日のこの勉強会が終わったら、発表要旨の作成と論文執筆に今度こそ集中します。

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