この研究書は一次資料であるアラビア語文献以外には、殆どトルコ語の研究しか参照しておらず(というか、これはトルコ語による研究一般が備えている属性なんでしょうか)、加えてそもそも全文トルコ語である(当たり前)為、やってられない気分にさせてくれるんですが、しかしpp. 89-98 に収録されているファナーリーの著作目録はけっこう有用です。
写本の所蔵先と写本番号が載ってたりするし、それにこの箇所なら、トルコ語を読まなくても理解できるし… (-_-;
それで気付いた点は以下の二点です:
1. ここでもまた、イージーの『神学教程』Al-Mawaqif に対する注釈がファナーリーに帰されており、典拠としてはメフメト・ターヒル(1926 年没)のOsmanlı müellifleri が挙げられている(p. 120, note 412)。
2.『神学教程提要』Mukhtasar al-Mawaqif(『神学教程』に対するイージー自らの手になる注釈で、Jawahir al-kalam の名で有名らしい)に対する注釈もファナーリーの著作として挙げられているが、その典拠としては(こないだはそこまで確認しなかったのだけれど)ハーッジー・ハリーファ(1657 年没)の『疑惑の解明』Kashf al-zunun が挙げられている(p. 120, note 413)。
2 については少し驚きました。
勿論これだけを根拠に同書がファナーリーの真作であるとは主張できないと思います。少なくとも、『疑惑の解明』をソースの一つとして使用しているBrockelmann がそれをファナーリーの著作とはしていない(たしか)訳ですから。
ただ、もしかしたら『神学教程注釈』よりは『神学教程提要注釈』のほうが、ファナーリーの真作である可能性がいくぶん高いのかもしれないですね。
とにかく月曜日にでも、ちょっと調べてみます。
今日はこの後、ずっと棚上げしていた投稿予定の論文をいい加減書き進めて、再び放置してしまっているシェックの『コーラン解釈学と文法学、論理学』第二章を読み進めます。集中集中。
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[後日付記]
結局『疑惑の解明』の該当箇所では、『神学教程提要』に対するファナーリーの注釈は言及されていませんでした。アシュカルが使っている版と研究室にある版が(恐らく)別のものなので、断言はできませんが…。問題の注は「ファナーリーが『神学教程提要』に対して注釈を残している」という記述についての典拠ではなく、「『神学教程提要』という著作」についての典拠なんだと思います。普通、そうは読めないと思いますが。
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