いやいや、当たり前ですね。
センサーがバカになっているようです。
というのも、イージーの『神学教程』Al-Mawaqif も、それに対するジュルジャーニーの注釈『神学教程注釈』Sharh al-Mawaqif も、第一部が知識論・思弁論で、第二部が〈存在〉論・何性論という形式を踏んでいます。これはタフターザーニーの『神学の目的注釈』Sharh al-Maqasid においても同様である為、恐らくイージー辺りが確立したスタイルなんだろうと思われます。
ということは、です。これに対するファナーリーの注釈も当然、同様の形式を採っているものと推測される訳です(これは殆ど間違いないでしょう)。従って第二部の〈存在〉論・何性論に関する記述は、ファナーリー存在論を理解する上で、是が非でも参照しなければならないテクストになるはずです。
それにタフターザーニーの『神学の目的注釈』でもそうですが、当時の神学書は先行する思想家たちの見解を縦横に引用しつつ、それらを調停することで、自らの見解の正しさを打ち立てる、というスタイルを採っているようです。その為、このテクスト中には、先行する思想家たちの見解についてファナーリーがどう考えていたか、つまりより端的に言えば、ファナーリーと彼に先行する思想家たちとのつながりが、かなり明確に現されているのではないかと考えられます。
これは何とかして手に入れる必要があります。
できれば、ゆくゆくは関連部分だけでも校訂してみたいです。
ただ、ファナーリーのこの著作に関しては、Brockelmann もRescher も触れてはいません(たしか)。ハーッジー・ハリーファはどうだったか、、、覚えていません…。
確かトルコで、ファナーリーの著作のトルコ国内における写本所蔵状況を調べたカタログ的な博論が出ているらしいので、それに当たれば何か有益な情報が得られるかもしれません。
今日にでも早速指導教員に相談してみようと思います。
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[更新後付記]
いま研究室で調べてみたところ、Brockelmann にもハーッジー・ハリーファにも、ファナーリーがそのような著作を残しているとは書かれていませんでした。両者はいずれも、それはハムザ・チェレビー・イブン=ムハンマド・シャー・イブン=ファナーリー(1436-81)という人物の手になる著作だと言っています。私が(そしてアイディン氏も)ここで言及しているファナーリーは、シャムスッディーン・ムハンマド・イブン=ハムザ・ファナーリー(1431年没)なので、端的に人違いという可能性が出てきました。何とも残念な結果です。
ただ、アイディン氏もさすがに典拠なしでこのことを語っている訳ではありません。彼が典拠として使っているのは以下の資料:
Bursalı Mehmed Tâhir Efendi, Osmanlı müellifleri: Osmanlıların kuruluşundan zamanımıza kadar gelen ve mesleklerinde eser yazan Türk mutasavvıf âlim, sâir-edıb, târihçi tabıb, riyâziyeci ve cografyacıların kısaca hayatlariyle eserlerine dâir kâfi ma'lûmâtı muhtevıdir.
まだHollis でしか確認していませんが、著者のメフメト・ターヒルは19世紀半ばから20世紀初頭を生きた人物らしく、この著作はオスマン語で書かれているようです。
Brockelmann はハーッジー・ハリーファをソースの一つとして使ってはいるものの、このメフメト・ターヒルの著作を使ってはいないようなので、問題はハーッジー・ハリーファ(17世紀)とメフメト・ターヒル(19-20世紀)のどちらが正しい情報を与えているのか、という点になります。まぁ、普通に考えて前者だと思いますが…。
何だか問題が錯綜してきたので、不躾ながらアイディン氏にメールで直接聞いてしまおうか思案中であります。
イージーが確立した、というのは、時代と彼の影響力を考えて、そう言わざるを得ない、ということですか?
AntwortenLöschenあ、、え〜と、そんなようなことをvan Essも書いてませんでしたっけ…。でも、たしかにいい加減な発言でした、すみません…。
AntwortenLöschenイージーは13-14世紀の思想家なので、それ以前のラーズィーとかトゥースィーの時点で既に確立されていたスタイルなのかもしれません。
この問題は、「存在者」についての分析の前に、「存在」そのものについての分析が(意図的に明示的に)置かれるようになるのは、どの時点からなのかという問題ともリンクするでしょうし、、あとで確認してみます。