こんな論文を発見しました。
まだ拾い読みしかしていませんが、内容は、18 世紀以降(特に19世紀後半以降)、アナトリアにも広がっていった唯物論・実証主義・進化論・無神論といった西欧の様々な思想潮流に対して、当時のオスマン朝の知識人たちがどう反応したか、ということについての記述です。
著者によれば、その反応は以下の3 パターンに分けられるとのこと:
1. 完全なアンチ西欧
2. あらゆる側面での西欧支持
3. 西欧的価値観とイスラーム的価値観との和解
このうち、この論文で焦点が当てられるのは2 の反応。
このような観点から、とりあえずはオスマン朝期の神学について、簡潔な記述が為されます。しかしそこで、13 世紀以降のイスラーム神学の展開を「非生産的な行き詰まりの時期」(an unprocuctive period of standstill; p. 104)と言い切ってしまうあたりから、何やらこれ以降の議論の流れがわかるようですし、注を一瞥すればわかる通り、かたくななまでにトルコ語の研究しか参照しておらず、トルコナショナリズムが爆発しているかんじが非常にいけすかないのですが、しかしかなり有益な情報が含まれていたこともまた事実です。
収穫だったのは以下の点です:
1. オスマン朝では、基本的にはハナフィー / マートゥリーディー派が優勢であったが、神学に関してはアシュアリー派が強く、マドラサで教えられていたのはアシュアリー派神学であった。これはセルジューク朝がアシュアリー派神学を正統派と定めたことに由来する(この点に関しては、恐らく常識なんでしょうが…)。また神学ではガザーリーとファフルッディーン・ラーズィーの影響が強く見られる(典拠なし)。
2. マドラサで主に用いられた神学テクストは、タフターザーニーの『ナサフィーの信条注釈』Sharh al-'Aqa'id al-Nasafiyah と、『神学の目的注釈』Sharh al-Maqasid fi 'ilm al-kalam 、そしてジュルジャーニーの『神学教程注釈』Sharh al-Mawaqif である。ただ、『ナサフィーの信条注釈』に関しては、マートゥリーディー派神学者アブー=ハフス・ナサフィーの著作に対する注釈なのに、、、まぁ、この点はあまり気にしなくてもいいんですかね…。
3. またオスマン朝のマドラサでは、トゥースィーの『信条綱要』Tajrid al-i'tiqad に対するジュルジャーニーの注釈『綱要傍注』Hashiyat al-Tajrid がよく読まれた。
4. オスマン朝でアシュアリー派神学が優勢となった理由の一つがファナーリーの活躍であり、彼がファフルッディーン・ラーズィーの影響力をオスマン朝に広めた(典拠なし)。
5. ファナーリーはジュルジャーニーの『神学教程注釈』に傍注を付しており、イージーの『神学教程梗概』Mukhtasar al-Mawaqif にも注釈を付している。
ラーズィーに対するファナーリーの影響に関しては、前者が後者よりも時代的に先行しているという側面からしか認識していなかったんですが、これはもっと直接的な影響関係を探れるのかもしれないですね。ただこの論文では典拠なしで語られているので、トルコ語文献にこういったことを論じた研究はないのかもしれません。欧米語ではもちろん、皆無ですね…。
調べてみましょう、いずれ。
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[後日付記]
アイディン氏はイスタンブル大学神学部の助教授のようです。
ということで、
イスタンブル大学神学部:
http://www.istanbul.edu.tr/ilahiyat/
エメル・アイディン:
http://www.istanbul.edu.tr/ilahiyat/cv/oaydin.html
アイディン氏はイスタンブル大学神学部の助教授のようです。
ということで、
イスタンブル大学神学部:
http://www.istanbul.edu.tr/ilahiyat/
エメル・アイディン:
http://www.istanbul.edu.tr/ilahiyat/cv/oaydin.html
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