Donnerstag, 29. September 2011

フランク「カラームという学」

Frank, R. M., "The Science of Kalām", Arabic Sciences and Philosophy 2 (1992), 7-37.

この論文でフランクは、一般に「思弁神学」あるいは単に「神学」などと訳される「カラーム(kalam)」という語が神学者たちによって術語として用いられたとき、どのような意味合いをもつのか、古典期のアシュアリー学派神学に焦点を当てて、検討しています。具体的にいうと、神学者たちはカラームを宗教的な信条から独立した合理的な学だとしています。しかしこの主張を額面通り信じてよいのか、というのがここでのフランクの問題設定です。例えば神学者たちはカラームの前提となる公理からは、宗教的信条に照らしてはじめて正しいと認められるような、そういった前提は排除されてきたと言っている。また神学書の著述スタイル(知識論・思弁論→神の属性論→神による世界の統治と人間の行為の問題[預言者性や啓示、来世などについて])を見てみても、神に関する探究から人間の魂に関する探究へと展開する中盤以降の構成は、キンディーの第一哲学の構成と類似しており、これらの点からもカラームを一種の哲学と考えることは可能であるようにも思われる。しかし仔細に検討すると、やはりカラームは既にある宗教的な信条に合理的な説明を与えるという性格の学であり、そうである以上、それはあくまで神学だった、というのが恐らく大まかな議論の流れです。

フランクの英語はいつも難解で、今回も後半部からはほとんど議論が追えなくなってしまったため、その点で再読の必要はあるのですが、残念ながら期待した学問論との関連は全く触れられていませんでした。カラームの主題がどうとか論じられだすのは、やはりイブン=スィーナー以降のことなのかもしれません。

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