Samstag, 21. Mai 2011

ベック「アヴィセンナの存在論」

Bäck, A., "Avicenna on Existence", Journal of the History of Philosophy, 25 (1987), pp. 351-67.

タイトルからはわかりにくいですが、実際にこの論文で論じられているのはアヴィセンナとアリストテレスの述語付け論です。具体的に言うと、アヴィセンナの述語付け理解をヒントに、アリストテレスの述語付け論にまつわる諸困難を解消できるような解釈を探るという試み。アリストテレス解釈が関わってくる後半部は議論が込み入ってくるため、ついていけませんでしたが、アヴィセンナの議論を扱った前半部は比較的わかりやすくまとめられていました。

問題となるのは、「S is P」という述語付けにおけるSの身分。現代の一般的な解釈(私はよく知りませんが、Bäck曰くそうなんだそうです)では、アリストテレスはこのような述語付けの場合、コプラが主語Sの存在を要求することはないと考えている、とされます。コプラがSの存在を要求するのは、「S is P」ではなく、あくまで「S is」の場合のみ。もし「S is P」においてもコプラがSの存在を要求するとしたら、「ホメロスは詩人である」という命題が真ではありえなくなる。何故ならホメロスは今、存在してなどいないから。アヴィセンナが優れたアリストテレス解釈者と見なすファーラービーもまた、概してこのような考え方を採るのだそうです。

しかしアヴィセンナは「S is P」であろうが「S is」であろうが、その命題が真であるためには、主語が存在していなければならないと考えるのだとか。彼によれば、「ホメロスは詩人である」という命題は偽なんだそうです。何故ならホメロスは今、存在していないから。しかし考えようによっては、真であるとも考えられる、と彼は言います。どういうことかと言えば、ホメロスは確かに今、存在してはいないが、我々は彼の感覚表象像(phantasm)を心の内に形成することができる。つまりホメロスは事物の内に(in re)存在してはいないが、知性の内に(in intellectu)存在することはできる。これを根拠に「ホメロスは詩人である」という命題は真となりえるのだそうです。このようにアヴィセンナは述語付けにおいて、Sは(事物の内にであれ知性の内にであれ)何らかの仕方で存在していると考えるわけです。

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