イブン=スィーナーの『治癒の書』「自然学」霊魂論の部分を中心に、彼の「イメージ」(原語は恐らくmithal)論を分析したものです。最近、といってもここ一ヶ月くらい断続的に読んでるのですが、ラスト10 ページがなかなか読了できずにいます。
同所を分析すると、彼が「イメージ」について二つの考え方をもっていたことがわかるそうです。
1. 実在するものの代役としてのイメージ。それは何ものかを代表し、眼前にないものの代わりとなる。内的五感のうちに保存されて、それらを適宜組み合わせることで、実際に目の前にないようなものについても思考することができるようになる、そういったイメージ。
2. 表象された何性の存在様態について知らしめる志向的内容(?: contenu intentionnel; 恐らく原語はma'na)としてのイメージ。それ自体において捉えられた何性に付帯する「普遍性」「個別性」などを指す。
前者については、まぁわかるんですが、後者のようなものについても「イメージ」として語られているというのは勉強になりました(というか、正にこれについて論じた箇所が難しくて読めずにいるのですが…)。
普遍性も個別性も第二次思惟対象とされるのだから、その意味では「存在」と通ずるところがあります。形象の世界の存在を示すことで絶対存在の外界における存在を証明しようとするファナーリーの議論は、この2 のタイプのイメージ論とかかわるのかも、とか考えてしまうのはあまりに安直かもしれません。
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