Samstag, 3. Oktober 2009

もう少し?

Zghal の論文は相変わらず遅々として進みません。わかったと思っても、新たに疑問点が出てくる始末。

先の読書メモで書いたように、「関係的なもの」について論ずる際にアリストテレスは「奴隷」と「主人」だとか、「二倍のもの」と「半分のもの」だとかを例として挙げていました。きっとイブン=スィーナー自身もそのような例を挙げているんだと思います。とはいえ、実際に原文を読んでいないので本当のところはよくわからないのですが…。とまれ、Zghal は何も言ってくれませんが、イブン=スィーナーが「(b)カテゴリーである関係的なもの」で意図していたのはこういったものだと考えて、恐らく間違いないと思います。

しかし他方で彼は(a)カテゴリーでない関係的なものの例として「白いもの」を挙げます。うーむ、これのどこが「関係的」なんでしょう…。今日はまたこいつをがんばってみます。もう少しで何かわかりそうな気がしないでもないような気がしないでもない。

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さて、トルコ語もとりあえず文法書に目を通すことはできたので、昨日からM. Aşkar, Molla Fenârî ve vahdet-i vücûd anlayışı (Ankara: Muradiye Kültür Vakfı, 1993) を読んでいます。読んでいるというか辞書を引いているというか、というかんじでこれまた遅々として進みませんが、それでもZghal 論文よりはだいぶ楽です。まずは一週間で pp. 155-95(第三章「ファナーリーの存在一性論理解」)を読み切ることを目標とします。集中集中。

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[後日付記]
やはりZghal 論文には、これまた棚上げしていたM. E. Marmura, "Avicenna's Chapter, 'On the Relative', in Metaphysics of the Shifa'", in G. F. Hourani (ed.), Essays on Islamic Philosophy and Science (Albany: SUNY Press, 1975), pp. 83-99 を読んでから再び戻ってくることにします。

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