C. Schöck, Koranexegese, Grammatik und Logik: Zum Verhältnis von arabischer und aristotelischer Urteils-, Konsequenz- und Schlusslehre (Leiden: Brill, 2006).
ここ数日、読むともなく読んでいます。
先週のギリシア語・アラビア語勉強会の折に、nikubeta さんにドイツ語の研究書の書評でもしてみたら?と言われたのを機縁に、ちょっと色気を出して手を伸ばしてみました。
ドイツ語の研究書は、現在fenderski さんの手引きによって、こいつ↓
ファン・エス『アドゥドゥッディーン・イージーの認識論:「神学教程」第一部訳注』 J. van Ess, Die Erkenntnislehre des 'Adudaddin al-Ici: Übersetzung und Kommentar des ersten Buches seiner Mawaqif (Wiesbaden: Steiner, 1966)
を少しずつ読んでみている訳ですが、これに比べたらドイツ語自体はかなり簡潔で、これならがんばれば読了できそうな気がしないでもないです。それに巻末(pp. 425-39)にEnglish Summary があるのもうれしいところ。わたしのようなドイツ語音痴には非常に助かります。
大まかな流れとしては、神学・法学におけるコーラン解釈がコーラン中に現れる非限定の名詞(Indefinitpronomina; al-asma' al-mubhamah)や諸々の一般的発話表現(allgemeiner sprachlicher Ausdrücke; al-alfaz al-'ammah)についてどのように解釈してきたか――具体的には、或る一般的な発話表現(lafz 'amm)がその発話表現の可能的指示対象(musammayat)の全て(kull)を意味するのか、それともその全体(jami')のうちの或る特定の部分(ba'd)のみを意味するのか、そしていつ前者を意味し、いつ後者を意味するということになるのか(p. 1)、という問題をアリストテレス論理学的諸概念との比較のもとに論じていく、というかんじでしょうか。
この問題が重要となるのは、それが単にイスラーム神学者・法学者たちの判断論にのみ関わるのではなく、寧ろ信仰の問題にまで関わるから(p. 3)だそうです。例えば「信仰者は楽園を約束されるが、信仰者でなければ火獄での業罰が待っている」という命題を考えたとき、「信仰者」という名詞(ism)から「楽園」という判断(hukm)が帰結するのか、「罪を犯した」という条件(shart)から「火獄(nar)での報い(jaza'; jawab)」が帰結するのか、という問題が出てきます(ちなみにこのような問題は、既にムハンマドの死後すぐの世代から議論されていたとのことです;p. 425)。
これに対してYes と答えたのがムウタズィラ派(Mu'tazilah)、No と答えたのがムルジア派 / ハナフィー派(Murji'ah / Hanafiyah)だそうです(たしか)。 両者の見解の相違の原因は、概念理解(Begriffsverständniss)にあります。前者によれば、信仰(iman)は諸々の従順状態(ta'at)を包含し、諸々の罪(ma'asi)については排除される、つまり信仰は諸々の従順状態の全体 / 集合(jami' / ijtima')である。このような考えを支えるのは外延的な概念理解だそうです。他方で後者によれば、信仰は「認識」(ma'rifah)、「確認 / 認めること」(iqrar)、「真と見なすこと」(tasdiq)となり、信仰は部分に分けられなく(la yataba''adu)なります。これは外延的ではなく、寧ろ内包的な概念理解だそうです(p. 3)。
ムウタズィラ派の始祖とされるワースィル・イブン=アター(Wasil ibn 'Ata', 748-9 年没;バスラ)は、「一般的なもの」('amm)を「一つの総体」という意味で解釈します。一般的なものはその中に含まれる個別的なものども全てを包括する。特殊的なもの(khass)の一般的なものに対する関係は、部分(juz' / ba'd)の全体(kull)に対するつながりのそれです。他方でハナフィー派の始祖であるアブー=ハニーファ(Abu Hanifah, 767 年没;クーファ)は、特殊的なもののうちにある(fi)或る共通的なもの(κοινόν / 'amm / commune)に従って、一般的なもののもつ内包という側面を強調します。前者はプラトン的伝統と初期アリストテレスにおける「関係」理解に近く、後者は古典的なアリストテレス哲学における定義論に近い(p. 2)。
へ~、、としか現状では言えませんが、しかし神学者・法学者の議論(それも哲学の影響を受けた12-13 世紀以降の神学者・法学者のならまだしも、8 世紀の)をここまでギリシア哲学と引き比べて論じてしまってよいのでしょうか?この本のタイトルにもある「関係」というのが歴史的な実証可能な関係を意味するのか、或いは歴史的文脈を度外視した単なる比較を意味するのか。前者であれば是非とも通読したいものです。確かに上述のWasil やらAbu Hanifah やらが活躍した時代は、ちょうどイブン=ムカッファア(Ibn al-Muqaffa', 756 年から少し後に処刑)がアリストテレス論理学の梗概をアラビア語でまとめた(これがアリストテレス論理学に関する最初のアラビア語著作)時期と重なる(p. 426)ようで、全く荒唐無稽な議論ではないのかも知れません。でも後者であるとしたら、正直あまり…。とにかくEnglish Summary も書評も、内容が凝縮されすぎているのか、よくわからなかったので、本文をもう少し読み進めようと思います。
Google Book:
http://books.google.com/books?id=8DDoaDUqPykC&printsec=frontcover&dq=9004145885&lr=&as_brr=3&hl=ja&source=gbs_summary_r&cad=0
書評:
http://halshs.archives-ouvertes.fr/halshs-00340506/
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