Donnerstag, 10. Dezember 2009

ラーズィーからファナーリーへ?

ファナーリーの『親密の灯』を読んでいると、絶対的な回数はそれほど多くないのだとは思いますが、何度かファフルッディーン・ラーズィーの議論が引き合いに出されます。そこでは、ラーズィーは「存在は、それそのものであるところの存在を通じて存在する」と論じた人物として、肯定的に言及されています。

『イーサーグージー注釈』を見てみても、ラーズィーの議論はやはり引用されます。わたしが現在見つけている限りでは、一回しか出て来ませんが、ファナーリーがラーズィーを読んでいたということは間違いないようです。

またタフターザーニーが固有存在どもに対する絶対存在の述語付けは「基底形」(muwata'ah)を通じてなされると言うのに対し、ファナーリーとラーズィーは「派生形」(ishtiqaq)を通じてなされると言っていたような気がします(ラーズィーについてはかなり怪しいですが、ファナーリーは確かそう言っています)。

ということで、ラーズィーとファナーリーの議論を述語付けとか絶対存在に関する言説に焦点を当てて比較検討するというのは、今後の課題の一つになる気がします。ラーズィーのようなイブン=スィーナー哲学への批判者として知られる人物がファナーリーのインスピレーションの源泉になっているとすれば、かなり面白い話ではないか、と個人的には思っています。

そんなことを考えつつ、以前購入したFakhr al-Din al-Razi, Mantiq al-Mulakhkhas, ed. A. F. Qaramaliki & A. Asghari'nizhad (Tihran: Intisharat-i Danishgah-i Imam-i Sadiq, 1381 [2002 or 2003]) の校訂者解説やら文献目録やらを読んでいると、どうやらイランでは学位論文レベル(卒論も含むかも)で色々なテクストの校訂が出ているらしいということに気付きました。というか、以前指導教員がそんなようなことを言っていたのを思い出しました。目下どうしても欲しいのは以下のもの:

1. Isfara'ini, 'Ali ibn Abi Nasr al-, Sharh al-Najah, ed. 'I. Q. Qadi (BA thesis [?], Islamic Azad University, Karaj, 1374 [1995 or 1996]).

2. Katibi, Najm al-Din al-Qazwini al-, Al-Mufassal fi sharh al-Muhassal, ed. 'A. Sadri (PhD diss., University of Tehran, 1368 [1989 or 1990]).

3. id., Al-Munassas fi sharh al-Mulakhkhas, Logic, part 1, ed. 'A. N. 'Ali'abadi (BA thesis [?], [Islamic Azad University?], Karaj, 1375 [1996 or 1997]).

4. id., Al-Munassas fi sharh al-Mulakhkhas, Logic, part 2, ed. Q. R. Awghali (BA thesis [?], [Islamic Azad University?], Karaj, 1375 [1996 or 1997]).

5. Taftazani, Sa'd al-Din al-, Sharh al-Shamsiyah, ed. N. Tawakkuli (BA thesis [?], University of Tehran, 1380 [2001 or 2002]).

研究室のイラン人留学生B 君あたりに、今度会ったとき聞いてみよう。

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