Samstag, 31. Oktober 2009

ファナーリーの形象論2

Takeshita, M., ''The Homo Imago Dei Motif and the Anthropocentric Metaphysics of Ibn 'Arabi in the Insha' al-Dawa'ir'', Orient, 18 (1982), pp. 111-28.

ファナーリーの形象論については、また遅々として進んでいないのですが、今更ながら上の論文中に mithl についての議論が出てくるということに気付いたため、読んでみました。イブン=アラビーの認識論について結構くわしく書かれています。ただ、『天球の創出〔という訳が正しいのかよくわかりませんが〕』Insha' al-dawa'ir 中に見られるイブン=アラビーの難解な(且ついく通りかの解釈が考えられる)議論を読み解きつつ、妥当な解釈を探っていくというスタイルで論述が進むため、途中数カ所で話の筋についていくことができませんでした。

気になったのは以下の点:

1. イブン=アラビーは「認識されない」⇒「(或る意味では)非存在者である」と考える?
2. イブン=アラビーにおいて、mithl「イメージ」は「知者の心のうちに存在する知の対象」である。その「知者」が人間である場合は「コピー」という意味であり、神である場合は「範型、イデア」を意味する。

mithl と mithal の間に違いがあるのかどうかはよくわかりませんです。

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